21.厳冬期皆子山西尾根登山

(2011年2月10日〜11日)

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 今冬の豪雪による杉の倒木
 
豪雪の小野谷の林道
 
小野谷より小野谷峠へ
尾越の民家 
芦火荘 
皆子山西尾根下部 
 西尾根P897近辺
皆子山がやっと姿を見せた 
気持ちの良い西尾根上部 
静寂の皆子山西尾根 
皆子山頂上は近い 
 
皆子山頂上
皆子山周辺の山々 

 標高1,000m以上の山のない都道府県は、日本では千葉県、京都府と沖縄 県だけだそうである。
その京都で一番高い山は, 971.5mの皆子山だ。
京都 北山をこよなく愛された京大山岳部の大先輩の今西錦司さんが、愛娘に皆 子さんという名前をつけられた。
その皆子山には、私も高校時代から雪のない時も積雪期も何度も登っているが、京都でもっともブッシュの濃い藪山として有名であり、現在でも登山道がついているのは、皆子谷、寺谷、 そしてツボクリ谷(芦火谷叉は足尾谷の支流)の谷筋を利用したルートのみで、尾根筋からの登山道は全くつけられていない。私の母校の山城高校の山小屋「芦火荘」を利用して、積雪期に峰床山、鎌倉山や伊賀谷山に登るたびに、大見村と尾越村の間にある峠から西尾根を利用して皆子山へ登れないかと非常に関心があった。昔人間の京都の岳人は、藪こぎのことを「ジャンジャン」と言うが、積雪 が1.5m以上になれば、根曲がり笹や灌木も雪に埋まって歩きやすいのでは と考え、雪の多い今冬に皆子山西尾根登山を実行することにした。お付きあい願うのは、堀内コンゴさん、宮川清明さん、岡部光彦さんと私の70歳前後の熟年登山者4名。


2月10日(木):終日曇り時々小雪。

   7:50/出町柳 - 9:15/小野谷口 - 10:12/京都林業研修所小屋 - 12:10/小野谷峠 - 13:20/大見村 - 14:00/.前坂峠(大見と尾越の間の峠)-
   15:00/P897 - 16:40/芦火荘。

7時30分に出町柳の京都バス乗り場に集合。平日なのに、比良登山に出かける梅の木経由朽木行バスを待っている人が結構多い。私達の乗る広河原行の京都バスは、産業大学の学生さん達ぐらいで、登山者は私達のみ。
鞍馬までは全く雪がなかったが、花脊峠の手前あたりから急に雪が深くなり、花脊別所近辺では1m位の積雪。別所より未だ北にある小野谷口で下車。
小野谷沿いの林道は1.2~1.3m位の積雪だったが、雪はかなりしまっていてワカンを履けば殆ど埋まらない。正月早々からの豪雪で杉の木が何本も倒れていた。京都林業研修所の小屋を過ぎ、旧ワサビ田栽培試験田あたりまでが最も杉の倒木が多く、痛々しい。小野谷峠の少し手前の割と傾斜の緩い支尾根を登り、主稜線に出て少し南へ戻ると小野谷峠へ出た。夏なら小野谷口から1時間少しで峠に行けるのに、今回は意外と時間がかかり、峠についたのは12時10分だった。
小野谷峠から少し降りると大見村の盆地に出る。平な盆地の林の中を小川 沿いに大見村へ。大見村に常住しておられる方はほとんどなく、夏場のみ時々実家へ戻って来られる人がおられるようだが、雪の深い今は全く人影なし。雪に埋もれた大見の村から尾越へ通じる谷筋の道を登る。 尾越までは民家があるので、生活道路と言うことで除雪作業は行われていて、多分昨日除雪されたのであろう峠道はラッセルもなく楽に歩けた。尾越村へ越える前坂峠に午後2時に着き、荷物を峠にデポして、サブザックで3時まで皆子山西尾根を偵察する事にする。
 峠から支尾根を少し登ってから、北の方に延びる支尾根を上がると主稜線に出た。前坂峠の下の大見側の支谷を登って主稜線に出る事も考えていたが、前坂峠からの登りもそれほど傾斜がなくて峠からの直登が正解であった。雪はよくクラストしており、ワカンを履いて踝くらいしか潜らず、非常に快適に歩けた。灌木や藪は1.5m以上の雪で殆ど埋まっていて、大きな山毛欅とみずならの林の中を楽に歩けた。皆子山西尾根は地図でみていた通り、広いゆったりした尾根で非常に気持ちよく歩ける。40分ほど進むと、西尾根の主稜線は南に折れ曲がっている。北東のP843に連なる支尾根が北に延びていて、このあたりの地形が、かなり複雑。積雪期につけたと思われる赤色や黄色のビニール・テープが木に巻き付けてあった。叉、かなり色あせたポリプロピレンのテープが木に縛り付けてあり、少なくとも3パーテイ以上の登山者が、積雪期に皆子山西尾根を歩いたものと推測された。南へ屈曲した西尾根を少し登ると左手の東の方向にP897が現れる。西尾根主稜はそのまま南に延びているが、既に3時なので本日の偵察はここまでとした。 
 前坂峠へ降りて、デポ荷物を回収して尾越へ。尾越の村も、どの家も深閑としてして住人は誰もいない。鱒釣り池の横を通り、二の谷の芦火荘(
山城高校山岳部と芦火山岳会の山小屋)に4時半頃に到着。いつもの通り、小屋の引き戸の前には雪は貯まっていなかったが、堅くてドアは全く開かず。宮川さんのアイデイアでスコップを使って、テコの原理で強引に動かし、ようやく小屋の中に入れた。煙突を設置する者、埋もれた水路を整備して谷水が汲めるようにパイプを掘り出す者と、手際よく手分けをして、夕暮れまでには赤々と燃える薪ストーブを囲んで暖まる事が出来た。 寒い冬の季節に, ストーブを囲んで、山の話を肴に杯をかわす楽しさは格別だ。
この芦火荘に初めて泊まったのは山城高校を卒業して大学入試試験が終わった直後の1959年3月中旬だったが、あれから何度この小屋にお世話になっただろうか。特に、停年退職してからのこの10年程は、殆ど毎年積雪期の芦火荘にやってきているが、何時きても心が落ち着く静かで快適な山小屋だ。


2月11日(金):終日曇りときどき小雪。

  4時起床 - 5:40/芦火荘 - 6:30~6:40/前坂峠 - 7:40/P897 -8:30/P926 - 9:30/皆子山 -11:30/前坂峠 - 14:00/百井 - 15:20/小出石。
  16:00/小出石発の京都バスで京都国際会館前へ。

4時起床後、ただちにストーブの煙突の撤去。小雪がぱらついていたが、視界は悪くなく十分行動出来そう。朝食後、小屋の清掃をして予定より
早い5時40分に小屋を出発。尾越の部落を越えて杉林の中の暗い峠までは少し登りになっており、早朝にはしんどい。
 前坂峠にて、寝袋やマットなどの不要な荷物を整理してシートをかけてデポをして、サブザックで出発。昨日のトレースがあり、赤布テープの目印をつけてあるので歩きやすい。
早朝なのでゆっくりと歩き、昨日の最終点P897との分岐点にほぼ1時間で到着。雪は堅く締まっていて歩きやすい。P897との分岐点から真っ直ぐ南に200m程歩くと、西尾根の分岐点に至る。うっかりするとそのまま広い尾根を南に進んでしまいそうだが、西尾根主稜線はそこから南東に方向を変える。何処をみても同じような山毛欅とみずなら等の開けた広い林の景色に変化のない尾根。これが北山の特徴だ。殆ど潜らない歩きやすい尾根を快適に進み、小さな小山を超えて次の小山に至ると尾根は二つに分かれる。南に延びる広い尾根を捨てて、今度は東の方に西尾根主稜線を少し歩くとP926のピークに着いた。
P897からもワカンが殆ど埋まらないクラストした雪で、P926まで50分ほどの行程。深雪や湿雪のラッセルが必要だったり、視界不良だと倍の時間はかかったであろう。
P926で小休止をとった後、北北東に西尾根主稜線は延びていて、帰路の為に赤布テープを木に結びつけて歩く。10分程歩くと、西尾根は今度は東に方向を転回する。このあたりから、ようやく京都府最高峰の皆子山(971.5m) が姿を見せた。皆子山の山頂付近は実に広々と翼を広げており、福井県の三重岳頂上周辺と似た感じだ。快適な山スキーが楽しめそうな広い雪斜面の西尾根のが現れると、皆子山頂上はもうそこだ。気持ちのよい雪面を登り切ると、寺谷や皆子谷からの夏道の来る東尾根に出た。そこから約30m程北へ進むと皆子山の頂上だった。たくさんの頂上標識のかかった皆子山頂にて記念写真を撮り、初めての西尾根からの登頂を祝した。
 下山は、目印につけた赤布テープに導かれて、2時間で前坂峠に戻った。雪の状態が非常によかったので、前坂峠から往復約5時間の皆子山西尾根登山であった。
 2時過ぎの小野谷口発の京都バスには間に合いそうにもないので、歩く距離は長いが大見から除雪した車道を百井経由小出石に降りる事にした。前坂峠から百井までは、延々と続く車道を歩くこと2時間半。百井の部落からは雪も完全に除雪された淡々としたアスファルト道を、小出石まで黙々と歩き、京都バスの小出石停留所ヘ。


 皆子山西尾根を今回初めて登ったが、今年のように1.5m以上の積雪で藪が完全に埋まっている時は、寺谷ルートや皆子谷ルートと比較して、西尾根は積雪期皆子山登山ルートとしてはベストと感じた。ただ積雪が、今回のようにクラストして締まっていなくて、深い雪や湿雪でラッセルがしんどいと、前坂峠からとても往復5時間では登れないであろう。
叉、西尾根は地形的に非常に複雑なので、視界が十分きかない時は、ルート・ファインデイングに苦労するであろう。
 いずれにせよ、永年の課題であった皆子山西尾根が積雪期にはこんなに素晴らしい尾根になることを発見し実に嬉しく、充実した満足出来る皆子山登山であった。今西錦司先生が御存命なら、この素晴らしい皆子山西尾根登山の報告を是非お伝えしたいところだ。


左:皆子山西尾根地図  右:昭文社京都北山地図