22.豪雪の京都北山(花脊山域)縦走

(2011年3月2日〜6日)

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雪の殆どない滝谷山
(876.2m)
小野谷峠手前で幕営
小野谷峠
新雪のラッセルの
チセロ山への登り
降雪の中を
チセロ山へ登る
チセロ山(871m)頂上
広いチセロ山頂上
付近
膝までのラッセルで
尾越二の谷へ降りる
雪に埋もれた芦火荘
二の谷管理舎
 
二の谷管理舎
下流の橋 
 
豪雪でも
芦火荘の中は快適 
 
峠へ向かって
再度林道を登る 
 
峰床山への深い
ラッセル 
 
ヤブをかいくぐっての
深雪のラッセル 
 
比良蓬莱山 
 
峰床山への
最後の登り 
 
 峰床山頂上
 
膝までのラッセルを
強いられる
久多・尾越林道 

 今西錦司さんの名著「山岳省察」に、京都北山と海外遠征について述べる次のような名文がある。

「今日の遠征は、なるほど昨日の登山からうまれたかもしれない。しかし、明日の遠征を望むものは、今日の遠征である。明日の遠征家は、今日の遠征家から生まれる。それにしても、この私こそは北山から巣立ったのである。私と北山とこそは、切っても切り離すことができない。遠征の夢にも、私の魂は北山をさまようであろう。そしてじっさい、ハイキングは盛んになったが、そのコースがかぎられているため、私はさいわいにしてもまだ北山の枝谷や枝尾根に、いくつかの心の安息所を持っている。それも時の問題で、ついに山を眺める者となって、自ら満足しなければならぬだろう。けれども眺めるだけの山になってしまっても、私の北山にかわりはあるまい。 夕日が射して濃い陰影のついた北山を、加茂川のほとりに立ってながめるとき、その北山は中学生であった私を、はじめて山に誘いいれたときと、同じ迫力をもって、今も私の心に迫ってくるのである。すると、私はやはり心の奥になにかしら不安に似たものを感じ、それがしだいにひろがって行くと、もうすべてのことがつまらなく、ただただ遠い彼方の見知らぬ国々に渡って、人知らぬ自然の中へ分け入ってみたいという願望に閉ざされてしまうのである。北山は罪なるかな。」
(1938年筆「北山・一つの登山発達史」より)

 私と京都北山とのかかわりあいも、中学生の時からだ。京都の下鴨中学校に入学し生物班というクラブに入って、補虫網をかついで毎週のように北山を歩きまわった。ギフ蝶やウスバシロチョウを追い求めて貴船から芹生ヘ。ミヤマカラスアゲハをとりに、大悲山峰定寺から寺谷へ。雲ヶ畑から岩屋不動の奥の薬師峠、直谷から狼峠ヘと、中学校3年間は北山が私の遊び場所であった。だが、若い頃の私と北山の接触は、無雪期だけであった。

 北山をこよなく愛された今西錦司さん達の文章を読んでも、冬の積雪期の北山を本格的に縦走したという記録はみあたらない。京都北山のバイブルとも言われた「京都北山と丹波高原」や「樹林の山旅」等の著書を残された森本次男さんも、京都北山をこよなく愛された先達である。その著書の中で、京都北山の無雪期のハイキング・コースを詳細に紹介されているが、本格的な積雪期の北山縦走はあまりされなかったようだ。どちらかというと積雪期はスキーによる峠の旅や、山村から山村への1日〜2日の漂白の山旅を楽しまれたようだ。

 京都の岳人は「京都北山からヒマラヤへ」という言葉をよく使う。今西さん達が残された言葉ではなかろうかと思うが、雪の積もった冬の京都北山をまともに登っていないのに、京都北山を本当に知ったことになるのであろうかと、先輩達の言葉に以前から疑問を持っていた。永年ヒマラヤ遠征を続けている人で、無雪期の京都北山だけでなく、冬の北山を情熱を持って本格的に登ってこられた京都の岳人を私は知らない。「京都北山からヒマラヤへ」という言葉は、京都岳人の単なる言葉の遊びであり、虚飾に過ぎないのではなかろうかと、以前からいささか恥ずかしい思いをしていた。

 南アフリカでの6年間の駐在から帰国した1993年以来、私はほとんど毎年のように海外の山旅に出かけてきた。一方、雪の積もった北山をまともに登っていなくて、本当に北山を知ったことにはならないのではとの思いがますます強くなりだした。雪の積もった京都北山を本格的にトレースすることによってこそ、「京都北山からヒマラヤヘ」という私の山登りが、本当に実現達成出来るのではなかろうかと還暦になったある日思い至った。
 国土地理院の1:25,000の地図を眺めていると、京都・滋賀・福井の県境尾根や、由良川周辺や北山深奥部に、縦走しても面白そうな長い稜線が幾つもあることが解ってきた。低い樹林のヤブ山であっても、誰も歩かない積雪期に、夏道もない北山の地形の複雑な尾根をラッセルしてトレースすることは、年寄りにでも出来るささやかなパイオニア・ワークではなかろうかとの夢が膨らんできて、是非実現したいとの強い意欲が湧き出てきた。
 京都北山は1000mにも満たない低山のヤブ山だから、厳冬期でも雨の降ることもあり、常に湿雪の重い雪のラッセルをしいられる山塊である。20kgに近い荷物を担いでの辛いラッセルをして、雨や雪に濡れたベトベトの寝袋で寝る、そんなむさ苦しいしんどい山旅につき合ってくれる仲間がいるだろうかと心配だった。幸いと、京大山岳部の同期生の堀内潭さんが私の考えに賛同して下さり、私達の積雪期北山縦走が2001年から始まった。 
 実働4日+ 予備日2日の縦走と、その為のトレーニングを兼ねての2日間の短期の北山ラッセル予備山行が、この10年間の定番となった。もう今年で体力的にも最後かなと思いつつも毎年続けてきた積雪期の北山縦走を、日頃のトレーニングのお陰で何とか継続していくことが出来た。10年間続けてみると、京都・滋賀・福井の県境尾根と主な京都北山の長い尾根筋は殆ど歩き尽くしてしまった感があるが、それが毎年のヒマラヤやアンデス遠征につながってきたような気がする。

 今冬歩く花脊山域の花脊峠 - チセロ山(871m) - 峰床山(950.5m) - 桑谷山(924.9m) -
 能見町の稜線は、北山の中心部であるが、峰床山と桑谷山を覗いては積雪期には殆ど誰も歩かない静かな山塊だ。私達も、花脊峠から小野谷峠を越えて大見・尾越経由二の谷の芦火荘(山城高校山岳部・芦火山岳会の山小屋)や、芦火荘 - 八丁平 - 峰床山 - 桑谷山 - 能見町と部分的にはトレースしたが、全稜線を一つの山行でトレースしていないので、今回は全稜線を一度に縦走することにした。計画は、実働4日+予備日2日、合計6日の予定だ。担ぐ荷物は、約20kg の重さになろう。
 メンバーは、当初からの相棒の堀内潭さん、2007年以来の常連メンバーの岡部光彦さん、それにウルトラ・マラソンとトライアスロンで鍛えあげた還暦新入生の神園泰比古さんと私の4人。積雪期の京都北山は非常に迷いやすいので、春に2回、秋に1回の偵察山行を行い、例年の如く道迷いしそうな尾根の分岐点に赤布テープをつけて事前準備した。

3月2日(水):曇り時々小雪。夜半より本格的な雪。
7:50/出町柳発京都バス - 8:53/花脊峠着。
9:05/花脊峠 - 10:30/滝谷山(876.2m) - 12:40/P877 - 13:37/P771 - 14:30/小野谷峠手前。

 昔私達が若い時には、花脊別所に花脊高原スキー場という小さなスキー場があった。
別所の小学校の前から寺山峠へ通じる山道を少し登ると、左手にスキー場があった。50年ほど前は、少し雪が深いとバスは花脊峠を越えられずに峠下までしか行かなかった。
京大山岳部時代は、峠下でバスを降りて、花脊峠まで林道を歩き、花脊峠から西面の杉林をトラバース気味に別所まで滑ったことがあった。 まだ杉は若木を植えた直後だったので、何とか滑れたが決して快適な林間コースではなかった。しかし、植林した若木の杉も今はすっかり成長して、花脊峠の西面は薄暗い杉の密生した林になってしまってとてもスキーを楽しめる状態ではない。今回私達の歩くのは、暫くは花脊峠の東面につけられた大見林道だ。2月10日の時に較べて雪は殆ど融けてなくなっていた。10分ほど歩くと、出町柳の橋の上からでも眺められる大きなアンテナの立っているNTT鞍馬中継所。林道を、杉峠を越えて少し行くと右手の窪地にチロル小屋の廃屋跡が現れる。恐らく60〜70年ほど前はこの小屋で楽しまれた岳人がおられたのだろうが、小屋跡の空き地にキャンピング・カーや古い乗用車が捨てられてあって、見るのも情けないゴミ捨て場になっている。
 花脊峠から北東に延びる大見尾根には、林道の右手に滝谷山(876.2m)があり、それを越えると夏道の林道は大見の方へ谷筋におりる。滝谷山(876.2m)の頂上も殆ど雪が残っていなかった。小野谷峠へ向かう私達は、滝谷山を越えてしばらくしてから林道をはずれ忠実に大見尾根通しに歩く。大見尾根は右左にくねくねと曲がり、時々枝尾根が現れて大変迷いやすい。林道をはずれて大見尾根の尾根筋を北へ進むに従って、積雪は少しづつ多くなった。昨秋私達がつけた赤色の絹布テープや誰かが木に巻き付けた赤いビニール・テープに導かれて、殆ど迷わずに大見尾根を歩くことが出来た。小野谷峠には良い幕営地がないので、峠の少し手前の東側の窪地を今日の泊まり場とすることにした。
 テント地を決めて整地して、いざテントを張ろうと言うときになって、テント・ポールを担いで来るべきメンバーが、家に忘れて来たことが判明。じたばたしてもどうしょうもないので、緊急用のナイロン・ロープ8mm x 20mを使って、立木を使ってテント本体を
吊って張ることにした。夏用のフライも周りの灌木とストックを使って何とかうまくかぶせることができ、大雪が降らない限りテントの中で十分寝られそうだ。夜半より雪がパラツキだし、夜中に何度か交代でフライに貯まった雪を払い落とした。一晩15~20cm位の積雪があったであろうか。

3月3日(木):終日雪。
7:15/CS - 7:25/小野谷峠 - 11:40/チセロ山(871m) - 13:30/林道小ナメラ線の尾越二の谷への峠 - 14:30/二の谷管理舎 - 15:00/芦火荘(芦火荘にて宿泊)。

 昨夜の雪で、幕営地付近は新雪の雪景色となった。幕営地から主稜線に上がり少し降りると小野谷峠だ。昨日は尾根筋に地肌が出ている箇所もあったが、今朝は完全に雪尾根となった。小野谷峠とチセロ山の間が、今回の縦走で一番尾根筋が複雑で迷いやすいところ。 昨秋に赤布テープを要所につけてきたつもりであったが、小野谷峠から登った直ぐ上のP690で迷ってしまった。うっかりして、北北西に延びる尾根をそのまま進んでしまった。おかしいと気がつき、P690に戻って、東南東の尾根に方向転換する。この尾根を少し降りて小さなコルにいたり、更に東に行くと主稜線は今度は北北東に曲がる。20分ほど進むと、主稜線は今度は東に方向転換する。小野谷峠から約1時間半ほどラッセルしてきた箇所で今度は、主稜線は北に方向を転じ、そこからはチセロ山まで忠実に北へ北へと向かう。
 雪はしだいに深くなり、膝下ぐらいのラッセルになってきた。今朝から小雪がずっとパラついている。チセロ谷の源流を左手に眺めながら、樹林の尾根を登る。P746への尾根の分岐点あたりから、主稜線はやや細くなり、傾斜もきつくなってラッセルがしんどい。チセロ山から南南西におりてくる支尾根が左手に見えて来ると、チセロ山はもう直ぐそこだ。11時40分チセロ山に到着。チセロ(知世路)山は、広い山頂の山だ。「こもれびの森」というハイキング・ルートになっていて、無雪期には訪れる人は結構多い。
 記念写真を撮って、早々にチセロ山から北北東へ延びる主稜線を進む。樹木があまり密になっていなくて、割と歩き易い尾根を登ったり降りたりして約1時間余進むと、主稜線が細くなり、林道に出合う。大悲山から来る小ナメラ線林道だ。林道に降りると、チセロ山の北側になる為か、積雪量は俄然多くなり、傾斜もあまりないのに膝までのしんどいラッセルだ。
 相変わらず小雪が降りぱらついている。今夜一晩雪が降り続くと、ポールなしのテントではとても積雪には耐えられないだろう。小ナメラ林道の峠から尾越二の谷へ、1時間半も有れば何時も利用している我が母校山城高校の芦火荘に行ける筈だ。峰床山へ登るには再度峠まで登りかえさねばならないが、ポールなしのテントより遙かに快適な芦火荘まで降りて宿泊することに全員の意見が一致。峠からも膝までの深いラッセルをしながら、延々と林道を歩き二の谷の管理舎へ。このあたりの積雪は、1.5m位。管理舎から歩き慣れた林道を約30分尾越村の方へ降りると、左手に赤ペンキの壁板の芦火荘に到着。皆子山西尾根を登りにきた時に泊まった2月10日と、積雪量はほぼ同じくらいの1.5m程。2月に谷水のパイプ配管を整備したので、パイプから水はいきよいよく流れていた。小屋に入り、煙突を設置し、薪ストーブに火がつくと、世の中が変わったような幸せな至福の時がやってくる。小屋の外は、しんしんと雪が降っている。実働4日に対し2日分の予備日をとって、食料は十分持ってきているので、もし明日も悪天なら芦火荘にもう1晩泊まって英気を養うことにした。赤々と燃える薪ストーブを囲みながら、ウイスキーや焼酎の水割りを飲みながら、「何でも言っていいんかい」は賑やかに続いた。

3月4日(金):終日雪。
 9:00/芦火荘 - 9:30/二の谷管理舎 - 10:10/芦火荘(芦火荘宿泊)。

 5時に目を覚ました時は、雪は未だしんしんと降り続いていた。7時の出発を見合わすことにして、とりあえず朝食をすます。8時頃から雪は小降りとなり、時々降り止んだので、急遽煙突を収納して小屋の整理をした上、とりあえず9時に芦火荘を出発した。昨晩の積雪は30~40cm あったらしく、昨日午後の私達のトレースは完全に消えていた。 二の谷管理舎の手前あたりから、降雪は激しくなり視界も悪くなってきた。 無理をして先へ進んでも、ポールなしのテントで積雪に埋まりながら寝るのは嫌なので、潔く行動を中止して芦火荘に戻ることに即決。管理舎のトイレを使わして貰って用足しをした後、芦火荘へ逆戻り。芦火荘の煙突を再度設置しなおすのも手慣れたもの。30分もすると薪ストーブが燃えだし、暖かい飲み物が出来て別世界の生活。
 終日暖かい小屋の中で、残った最後のウイスキーや焼酎を飲み、山登りの話、子供の話、孫の話、そしてヒマラヤ談義ヘと延々と楽しい親睦会が続く有意義な休養日を過ごすことが出来た。

3月5日(土):曇り時々晴れ。
5:30/芦火荘 - 7:50/小ナメラ林道峠 - 10:40/峰床山(970m)- 12:00/久多林道峠 -14:20/P796手前。

 4時起床。雪は止んだようだ。朝食を済ませ、薪ストーブの煙突を取り外し、小屋の清掃をした後、5時半に芦火荘を出発。昨日も30~40cmの積雪があったようだ。昨日のトレースもほぼ消えてしまっていて、膝までのラッセルだ。今日は長丁場なので、ラッセルは100歩で交代とする。管理舎から一昨日と同じ林道を小ナメラ林道峠まで、2時間近くかかった。峠から林道を離れ、峰床山登山口と書いた札のかかった所から尾根に取り付く。30分ほど歩くと、俵坂峠。テントを吊す適当な灌木の立木もなく、叉西風をまともに受けそうな峠だ。一昨日この峠で、ポールなしで幕営しなかったのは正解だった。
 峰床山ヘの主稜線は傾斜がきつい所もあり、雪が深くて腿までのラッセルを強いられる箇所もあった。小ピークの上から東の方に蓬莱山が望めた。八丁平から登ってくる夏道と合流する峠に着くと、峰床山の頂上はもうすぐだ。でも、ここから傾斜もきつくなり、重荷を担いでの深いラッセルがつらい。最後の一がんばりで、10時40分にようやく峰床山に登頂。
 峰床山のピークから北北西に延びる支尾根を少し下るとパラボナ・アンテナが建っている。その建物の右手の小さな尾根を下って行き、途中から右側の小さな谷に入りこんで久多・尾越林道へ降りた。林道は吹きだまりになっている為か、膝上の重たい湿雪のラッセル。林道が久多へ降りていく峠からは、我々は叉主稜線の尾根を歩く。西側が植林した檜の若木、東側が灌木が密生していて、尾根上は歩き難い。
 P838から主稜線は西に方向を転じる。P796の手前の樹林の中に、快適そうな幕営地を見つけた。立木に8mm x 20mのロープを使ってテントを吊し、フライも周りの灌木を利用して非常にうまくテントを設営することが出来た。今晩は雪も降らないようなので、安心して寝られそうだ。ここまで来れば、明日はP790と桑谷山(924.9m)越えて間違いなく下山出来そうだ。アルコールは昨日でなくなってしまい、夕食後は早々に就寝した。

3月6日(土):晴後曇り。
6:45/CS - 7:40/P790 - 9:50/桑谷山東峰 - 10:44/桑谷山(924.4m) - 11:50/P804 - 13:10/能見 - 13:45/能見口。14:28発京都バスにて京都へ。

 太陽が出て気持ちの良い天気だ。P790あたりまでは、稜線上に灌木が密生している所
があり歩きにくい。稜線の下をトラバースしたり、灌木の間をかいくぐったりしてラッセルをする。時々雪で隠れた木の枝の空間のゴジラ落としに落ち込んでしまったりすると、ガックリと疲れる。昨日と同じように、ラッセルは100歩交代で、50分歩き10分休憩のペース。
 桑谷山東峰から能見までは、昨年秋につけた赤絹布テープが要所にバッチリつけられていて安心して歩ける。桑谷山はこの近辺では峰床山に次いで高い山なのだが、積雪量は峰床山よりぐっと少ない。P804への下りになると雪は更に少なくなり、地肌が見える所も出てきた。稜線の右手に能見の民家がチラチラ見え始める。稜線の北側が伐採された開けた谷の斜面が見え、雪の斜面を越えた所から北へ延びる小さな支尾根を右の谷斜面を見ながら下る。支尾根上に雪の斜面が出てくる所から、30〜40度の斜面を東北の方へ下る。小さなブロック雪崩が出始めたので、灌木の間をよりながら膝までのラッセルをして強引に下ると墓地の直ぐ上手に降りた。能見川にかかる橋を渡って、除雪されたアスファルトの道に出るとそこは能見だ。花脊山域の縦走成功と無事の下山を祝って、4人で握手。

 今回はテント・ポールなしの冬山縦走というハプニングがあり、叉2日夜から5日朝まで降り続いた豪雪に見舞われたが、芦火荘という有り難いお助け小屋のお陰と足並みのそろった4人のメンバーのラッセル力で、当初の予定通りの縦走を完踏することが出来た。この10年ほど京都北山およびその周辺の山々の低山ヤブ山の縦走を続けてきたが、今回の花脊山域が地形的にも一番複雑で難しかったような気がする。お互いの実力も気心も十二分に把握しているチームであったからこそ、うまく予定通り縦走することが出来たと思う。私にとっても、何時までも記憶に残るであろう充実した会心の山行であった。

 
 
 
久多・尾越林道の峠    P796手前の幕営地  今日も樹林の尾根の
ラッセル  
 
 
 
 桑谷山東峰手前の
送電線鉄塔
桑谷山東峰近辺より
遠望する
比良武奈ヶ岳 
 桑谷山頂上
 
 
 
 見事な台杉  能見町  
 
 
 
 
京都北山(花脊山域)
概念図 
小野谷峠・
チセロ山間の
複雑な尾根