29.「ツオー・モリリ」高原のパラダイス漫遊
(インド・ヒマラヤ)

(2015年8月4日~29日)

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 Google earth photo
( Parang Chu area )
 Leomann Maps
(Tso Kar - Tso Moriri)
Leomann Maps
(Tso Moriri - Parang Chu ) 


 2014年夏に、キナール山域からスピテイ山域ヘ未踏峰の探査に出かけたが、2015年はスピテイの北にあるラダック最南部のツオー・モリリ湖から、スピテイとの稜線に源を持つParang Chu 谷を遡行して、この谷周辺部の未踏峰探査を計画した。この山域にも、未だまだ知られざる6000m台の未踏峰がかなり沢山手つかずで残されている。

1987年にインド隊( Haris Kapadia隊長)が Palang La 近くの Pati Lungbi(6166m), Lama Kent (6160m), Gyadung (6160m), Gelling (6100m), Runse (6175m)) を初登頂。

1999年に日本山岳会東海支部隊がParang Chu 中流にあるUmdung Kangri (6642m)に初登頂している。その後は2005年に日本山岳会東海支部隊がスピテイとの稜線にあるP6080とP6206 (P6009?)に登頂し、2011年に神奈川県山岳連盟隊が同境界稜線のP6160に初登頂しただけにとどまっており、未だに知られざる未踏の山が隠れている。

 
West peaks of Tso Moriri from Kiagar Tso 
 
East peaks of Tso Moriri from Kiagar Tso 
 
North peaks in Gyamsharma 
 
Tso Moriri from Karzok village (by Mr. Ito ) 
 
Trekking with horses (by Mr. Ito ) 
 
Chamser Kangri (6623m) and Lungser Kangri (6666m)
from left (by Mr. Taniguchi) 
 
Chhamser Kangri (6623m) & Lungser Kangri (6666m)
in dawn from left (by Mr. Ito) 
 
Crossing the river on horse (by Mr. Taniguchi) 
 
Swamp of Tso Moriri South 
 
Plateau of Tso Moriri ( by Mr. Taniguchi ) 
 
From left, Mentok-2 (6172m) & Mentok-1 (6277m) 
 
Mani-stones 
 
  Mendan ( Pile of Mani-stones)  

 デリーから8月6日に空路でラダックのLehに行き、8月6~7日はパンゴン湖への高度順応旅行を行った後、8月8日にチャーター車にて標高約4500mのツオー・モリリ湖のKarzokへ入り、そこからParang Laの手前の氷河舌端まで約2週間のトレッキングをして、Parang Chu 谷の未踏峰を探ろうとの計画であった。

 メンバーは、AACKの谷口朗(77歳)、福本昌弘(76歳)、伊藤寿男(76歳)、上条雄吉(76歳)、阪本公一(75歳)と静岡愛峰山の会の小林悦子(72歳)の6名の老人遠征隊。
 Air India は、毎日運行していないので、阪本が8月4日のAir Indiaで関空を出発し、残り5名は8月5日に成田からデリー向かった。

 私達の2012年の未踏峰探査で見つけてきたザンスカールGompe Tokpo谷の未踏峰P6157(T20)及びP6162(T19) に挑戦する日大山岳部ザンスカール遠征隊の5名が、成田から同じ8月5日発のAir Indiaのフライトでデリーに到着した。デリー空港に近くのホテルAshok Country Resortに彼等も宿泊するので、その夜は私達が日大山岳部の学生達を夕食に招待し歓送会を催した。元気な若いクライマー達との楽しい懇親であった。


 8月6日、早朝のフライトでデリーから標高3500mの町Lehへ飛んだ。フライトは1時間遅れでLehに到着し、ホテルにチェックイン後、御世話になるエージェントのHidden Himalayaの事務所へ打合せに出かけ、午後は買い物などのんびりとした一日を過ごした。

 8月7日~8日はKaruからChang La峠(5597m)を越え、高所順応の目的で1泊2日の予定で標高4255mのパンゴン湖へ出かけた。パンゴン湖に行くツーリングのオートバイが何十台と連なり、雑音まき散らしており大変不愉快であった。パンゴン湖のSpangmikは仮設テントの食堂と夏場の観光シーズン用のテント・ホテルが立ち並ぶ味気ない場所で、全く期待はずれ。パンゴン湖の東岸は中国領になっているが、5000m台の平凡な魅力ない山があるだけで、どうも迫力のない景色である。再度訪れたいという気がしないところであった。中国との国境にあるパンゴン湖には、中国人に対してはILP (Innner Line Permit )は許可されないらしい。

8月9日(日):7:00/ Leh - 16:30/Karzok (4545m, N32-57-54, E78-15-44)。晴れ。
 午前7時にLehを出発してTso Moriri湖に向かった。インダス河沿いのMahe からSumdo Gongma経由でTso Moririへ入る積もりであったが、数日前の豪雨でMahe 近辺の車道が崖崩れの為に通行不能になったままであった。やむなくUpshiからManaliへ通じる国道沿いにTso Karまで行き、Tso KarからPolokongka 峠 (4970m) 越えでSumdo Gongmaへ北に降りて、遠回りしてTso Moriri湖のKarzokへ向かうことになった。Tso Karは塩湖だが、2年前の2013年に訪れた時よりも随分と水位が落ちていた。前回はTso Karの近くの高原には、あちこちに数百頭のパシミナ・ゴートが放牧されていたが、今回は殆どゴートの姿を見かけず。

 Tso Karのすぐ東には、沖允人さん達中京山岳会が初登頂したThugje (6148m)が聳える。
Polokongka 峠からSumdo Gongmaにおり、ツオー・モリリに向かうつづら折れの立派な舗装道路を30分ほど車で上がると、大きなケルンが積まれたNamkshang La峠(又の名はNusgar La)だ。峠から一段おりると、ツオー・モリリの手前にある小さな湖のKyogar Tsoに降り立つ。
この湖の北側には、1997年に日本山岳会東海支部が初登頂したKula (6546m)とその連山のP6440, P6270が望まれる。Kyogar Tsoの西側の谷 Gyang Chuの北面にはP6090やP6379のたおやかな山並みが続く。遙か南のツオー・モリリの西面には、山形大学が初登頂したMentok 1峰(6277m)とMentok 2峰(6172m)が遠望された。

Tso Moririの湖の周辺にある唯一の村Karzokに着いたのは、夕方4時半となっており、長時間のドライブで全員がすっかり疲れてしまった。Karzokは人口約150人の小さな村だがGompaもあり、チベット仏教に敬虔な村人の生活がうかがわれる。

8月10日:8:45/Karzok - 9:44/Zalung - 20:30.Kiangdom (4547m, N32-47-34, E78-18-33)。 晴れ後曇り、時々にわか雨。

いよいよ、Tso Moriri 湖からParang Chu谷の未踏峰探査に出かける2週間のトレッキングだ。 我々をサポートしてくれるスタッフは、エージェントのHidden Himalayaがアレンジしてくれたガイドのツプステン、コックのペンバ、キッチン・スタッフのプンツオックとロブサン。そしてKarzok村の住人である馬方のツエリンとナムギャルに、馬9頭とロバ3頭だ。これまでの私達の遠征にはHidden Himalayaの社長のツワン氏がガイドとして我々に同行してくれていたが、今回は同じ時期にザンサカールの未踏峰登山に挑戦する日大山岳部遠征隊にツワン氏のアテンドを依頼したので、同社が最も信頼出来るガイドのツプステンが我々に同行してくれることになった。

  Karzok村の東に広がるツオー・モリリ湖は、澄み切った青い水が広がる素晴らしい景観の湖である。大きなケルンがあって展望台になっているZalung迄は車道がついている。青々としたツオー・モリリ湖の東岸には、1995年にインドHimalayan ClubのHaris Kapadiaさん達によって初登頂されたこの山域で最も高いLungser Kangri (6666m)とChhamser Kangri (6623m)が聳える。馬方達の話では、Lungser Kangriの麓にインド軍の駐屯所が出来たため、2年前からこの2山への外国人の登山は禁止になっていると言う。

 車道がなくなると、湖沿いの平坦なトレッキング道には、マニ石を積み重ねたメンダンが次々と現れ、合計26個のメンダンを数えた。ネパールのランタン村のメンダンが有名であるが、ここの方が遥かにメンダンの数が多い。

 ツオー・モリリ湖は標高4500mの高地にあり、高度の影響かそれとも70歳半ばの私達の老齢の為か、歩く速度は実にのろのろと亀のように遅い。午後になると、急に雲が出だし、風も強くなり、小雨も降り出した。Kiangdomのテント地までは、まだまだ遠いとのことなので、6時頃に福本・小林の2名が馬に乗ってテント地へ先行。馬方とガイドは、テント地で2名を降ろした後、遅れて歩いてくる他のメンバーのところまで引き返し、他の2名も搬送。結局全員6名がテント地に着いたのは、すっかり日が暮れて暗くなった8時半であった。初日の重労働で、全員疲労困ぱいだった。

8月11日(月):Kiangdom滞在、休養日。晴れ。

 昨日の12時間近くの行動で、全員すっかり疲れてしまい、11日は休養日とすることにした。のんびりと昼寝をする者、読書を楽しむ者とゆったりした休養日であった。
 馬方達の話によると、ツオー・モリリには魚は全く住んでいないが、ワニがいるという。標高4500mの山の中の湖なのに、ワニがいるとは信じられない話だ。

8月12日(火):7:00/Kiangdom - 9:20/Phirse Fu 出合 - 14:20/ Kamulung(4533m, N32-14-50, E78-21-39)。晴れ。

ツオー・モリリ西岸のトレッキング道には通常は渡渉が全くない筈なのに、数日前の豪雨の為か、湿地帯に小川が何本も流れていた。膝より深い急流の箇所もあったので、馬方に頼んで馬に乗せて貰って渡渉(8:20am)。小林悦子さんが馬の上でバランスを崩し川に落ちかけたが、馬方のナムギャルが彼女を抱えてくれ事なきを得たハプニングもあった。

 福本さんと上条さんが、ワニではないが、大きな背びれを立てて泳いでいるサメのようなものを見たと言い出した。どうもワニの話に刺激を受けたようだ。

 ツオー・モリリの西岸にPhirse Fuと言う大きな谷が入っている。上条さんはそんな谷はなく、Mentok 2峰からの尾根とChumik (5660m)から北に延びる尾根はつながっていると
主張する。サメのような物を見たとか、谷がないとか言い出すのは、高度障害で視野がおかしくなってきたのではないかと心配になってきた。
 小さな野草の花があちこちに見られだし、湿原地に咲く黄色い花の群れが見事であった。ツオー・モリリの大きな湖は終わり、緑の大平原と湿地帯が果てしなく続く。直ぐそこに見える支尾根の麓にも、なかなか行き着かなかった。

Chumik とKamulungとの中間点の快適なキャンプ地で幕営。午後、洗濯したり読書をしたりと、ゆったりとした午後を過ごした。

8月13日(水):9.40/Kamulung - 14:30/Norbu Sumdo(4521m, N32-40-35, E78-22-37)。晴れ。

今日の行程は短いので、出発はゆっくりとして9時40分に歩き始めた。広い平原を南東に歩く。Sumdoの方に流れる川を左に見ながら、美しい野草を愛でながらのんびりと歩き、午後2時半にParang Chuの出合いのNorbu Sumdoに到着した。

 馬方が、空身で馬に乗ってParang Chuの右岸に渡って偵察をする。河幅は広く、水は三筋となって流れている。二つ目の川も結構水流がきつかったが、3っ目の川が結構深く馬の腹までの深さがあり、水流も激しく馬も渡渉に苦労していた。馬方が私達の待っている左岸に戻ってきて、ガイドに状況を報告する。ガイドの通訳によると、空身の馬でさえ渡渉はかなり厳しく、重荷を積んだ馬の渡渉及び私達隊員を馬方が乗せて河を渡るのは、
かなり危険をともなうとの説明であった。又、Parang Chuの遡行に入ってから、激しい雨に見舞われると、下手をすると引き戻せなくなりKarzok への帰還も危なくなる恐れありと言う。

 馬方は、もし私達がParang Chuでの探査行を止めてKarzokに引き上げた場合、当初の契約通りの仕事がなくなるのではと懸念する顔色が伺えた。「危険と思ったら正直に意見を言って欲しい。Parang Chuのトレッキングを止めても、ツオー・モリリで予定通りの日程を楽しみ、あなたたちには契約通りの賃金をHidden Himalayaに払って貰うから、心配しなくても良い。」と私がガイドを通じて話をすると、馬方はホッとしたような顔で、「貴方たち年輩の方は、無理をしてParang Chuに入らない方が良いと思う。」と正直な意見を述べてくれた。 他の隊員に、馬方及びガイドの意見を伝え、残念だけど遭難事故のリスクを避ける為に、現地の馬方やガイドの意見に従って今回のParang Chuの未踏峰探査を断念したい旨の私の隊長意見を説明し、気持ち良く全隊員の同意を得た。

8月14日(金):8:00/Norbu Sumdo - 11:30/Chumik (4530m, N32-42-52, E78-20-57)。晴れ。

 Parang Chuでの未踏峰探査が出来なくなったのは残念であるが、谷口さんの意見を入れて、のんびりとツオー・モリリの東岸を歩いて、8月23日にKarzokへ戻る気ままトレッキングを楽しむ事に全員が賛成。標高約4500mのツオー・モリリ南部の大平原を、美しい野草を見ながら、のんびりと気の向くまま歩く高原漫遊計画に変更することになった。

8月15日(土)~16日(日):Chumik に滞在。晴れたり曇ったり。

 福本氏の調子が良くないので、15日は休養日とした。翌16日は、7時に朝食を済ませたが、天候が悪く9時になっても好天の兆しが見えないので、出発を見合わせ、再度停滞する事にした。

8月17日(月):8:00/Chumik - 11:40/Dungri (4551m, N32-45-52, E78-22-05)。晴れ。

ツオー・モリリ南部の広大で平坦な高原地帯を北東へぶらぶらと歩く。朝、野生の狼が一匹、私達の近くを横切って行った。野生の馬(Wild horse)数頭にもでくわした。

Dungri は、ツオー・モリリ湖の最南端の東岸にある美しい草原の台地である。裏山から
の小さい谷からこんこんとわき出る清い湧き水があり、台地の草原に野生の高山植物の咲く快適なテント場であった。

8月18日(火):8;00/Dungri ? 10:10/Phirse Fu出合い ? 12:30/Dungri。晴れ。

 Phirse Fu 出合いまで、ハイキングに出かけた。Phirse Fu の奥にカナデイアン・ロッキーのMt. Albata に似たKharpa (6234m)のどっしりした岩峰が望まれた。この山は、地元ではCho Ayapayaと呼ばれており聖山になっているらしい。南を振り返ると、Parang Chuの最高峰のUmdung Kangri (6642m)とその周辺の山々が遠望された。

8月19(水):8:00/Dungri ? Pabuk ? 11:40/Dungri。晴れ。

 ツオー・モリリの東岸を北に歩き、岬の向こうのPabuk 迄ハイキングに出かけた。
パシミナ・ゴートの放牧小屋の囲いがいくつかあり、最盛期はゴートがこのあたりで放牧されている事が解った。

Dungri からこのあたりまでは、ツオー・モリリの最南端がくびれたような小さな湖が幾つも連なっている、まるでパラダイスのような実に景色の素晴らしい草原地帯であった。

南を振り返ると、Parang ChuにあるP6367 やP6364が望まれた。 

8月20日(木):7:50/Dungri ? 11:00/Kigangdom 。晴れ。 

  Kiangdom の近くの大草原のなかに遊ぶ野生の馬5~6頭があらわれた。Kiangdomのキャンプ地は、数パーテイがKarzokからやってきて幕営し賑やかであった。ツオー・モリリの湖の畔には、数十頭の鴨の群れが遊んおりのどかな風景であった。

8月21日(金)~ 22日(土): Kele 滞在。8:00/Kiangdom ? 11:30/Kele 。高曇り。

 今日も美しい草原を、のんびりと歩く楽しい1日であった。急ぐ旅ではないので、Kele で2泊し、洗濯、読書、昼寝と、それぞれ思い思いに好きなようにリラックスして過ごした。

8月23日(土):7:00/Kela - 12:40/Karzok 。晴れ。

 Karzok に2週間振りに戻り、テント・ホテルに宿泊してホット・シャワーで2週間分の身体の垢を落とした。

8月24日(日):8:30/Karzok ? Tso Kar ? 15:30/Lato。マイクロバスで移動。晴れ。

 朝食後、ホテルの上の山の上にあるゴンパに参拝し、村の民宿を見学した。Tso Kar に一泊してからLehに戻る当初の予定だったが、Tso Karを飛ばしてGyaの次のLato村のキャンプ場に宿泊した。Latoは赤い珍しい岩壁のある風光明媚な村である。

8月25日にLehの戻り、翌26日は町の散策とお土産の買い物にのんびり過ごした。

8月27日に早朝のフライトでデリーに出て、午後IMF (Indian Mountaineering Foundation)を訪問した。
 IMFでは、DirectorのMr. Rajkumar Yadavと担当管のMr.Vinod Chauhanに面談し、私達の関心事項を幾つか質問し、下記のような回答を得た。

1.ツオー・モリリのLungser Kangri (6666m)とChhamser Kangri (6623m)は、裾野にインド軍の駐屯所が2年前に建設され、軍隊から登山禁止を言い渡されてので、やむなく両峰の登山を禁止している由。何時解禁されるかは、全く不明とのこと。

2.キナールとスピテイ山域は、中国との国境稜線にある山以外は、最近は登山許可がおりやすくなっている。

3.スピテイ北のラダック最南部のParang Chu谷周辺の山々は、中国国境に近いので、登山許可がとれる可能性は少ない。インド軍、ITBP (India Tibet Border Police) 又はインド警察との合同登山なら、登山許可を取得出来る可能性はある由。

4.インド・ヒマラヤの登山許可及び登山記録は、Survey of India 地図に基づいて管理されているが、この地図は市販されておらず、一般人の手に入らない状態である。海外の登山者が、インド・ヒマラヤへ遠征するに際してこのSurvey of India地図を入手出来ないのは大変不便なので、何とかかならないかとの質問に対し、インド軍の方針が変わらない限りIMFとしては改善の方策はまったく持っていないとの回答であった。IMFのトップマネージメント自身が、軍隊からの天下り人事で運営されている現状では、すべてインド軍の意向次第の状態のようだ。
 




 今回は増水の為Parang Chuの未踏峰探査を行う事が出来なかったが、自然美の豊かなツオー・モリリを、時間にしばられずにのんびりと歩くリラックスした山旅を楽しむ事が出来た。私は1993年に南アフリカから帰国して以来、毎年ヒマラヤ、カラコルム、東チベット、アンデス、北米大陸の山旅へ24回出かけてきた。どの海外の山旅も、毎日7~10時間も歩き続けるような時間にしばられる忙しい山旅であった。 今回のように時間にしばられずに、気のむくまま、のんびりと自然を楽しみ、山に溶け込む日々を楽しむ優雅な山旅もあると言う事を初めて体験した。

 当初予定したParang Chu の未踏峰探査は実現出来なかったが、今回の遠征は、本当に充実した満足のいく山旅であった。他のメンバーも恐らく同じ思いであったのではなかろうか。

   
 From left, P6127 and Mt. Undung Kangri (6642m)
in Parang Chu 
From right, white peaks P6367 and P6364 (1)  
   
Mt. Kharpa (6234) in Phirse Fu (by Mr. Ito)  South of Tso Moriri ( by Mr. Taniguchi ) (1) 
   
South of Tso Moriri  Expediton members and staffs 
   
Lato Camp Site ( by Mr. Ito )  Marmot 
   
Wild horses ( by Mr. Ito )  Lizard ( by Mr. Ito) 
   
Ducks  Simbol bone in Tso Moriri 
   
Wild flower  Wild flower 
   
Wild flower    Wild flower ( by Mr. Ito)
   
Wild Flower ( by Mr. Ito)  Wild Flower ( by Mr. Ito) 
 
 Wild Flower ( by Mr. Ito)