康南の秀峰ダンチェツエンラ(5,833m)初登頂

(2002年5月21日ー6月28日)

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2002年5−6月に、横断山脈研究会より、中国四川省の沙魯里山(シャルリシャン)山系の未踏峰を登りに出掛けた。対象の山は、チェベット自治区に近い街「巴塘(パタン)」の北東12kmにある央莫龍(ヤンモーロン)6,060m、その中央峰6,033m、及び西峰の党結真拉(ダンチェツエンラ)5,833mの未踏の三山だ。

この山塊は、1990年に日本大学北桜会(工学部山岳会)が北面より6,060mの央莫龍(ヤンモーロン)を試登し、悪天のため5,450mで撤退したが、詳しい報告は発表されていない。2000年5−6月に横断山脈研究会の中村保会長と永井剛会員が、南面から探査し、「近くて遠い山 ー 党結真拉(ダンチェツエンラ)」と中村保氏が同氏の著書「深い浸食の国」の中で、この山塊を紹介している。南西面からなら割と簡単に登れるのではないかとの両氏の報告を受けて、阪本公一(62歳、隊長)、宮川清明(61歳、登攀隊長)、田中昌二郎(61歳)、村山準太(35歳)、の4人の小さな遠征隊で登りに出かける事になった。

Central Gracier and the col
Central Peak viewed from the col
Dancghezhengla, Central Peak, Yangmolong(from left)
Final ridge of Dangchezhengla 5,833m.
Yangmolong 6,060m.


中国の参謀本部の1/100,000の地図で、5,833m峰の左側に「党結真拉」と表記されているので、私達も中村説をとって「党結真拉主峰6,060m, 中央峰6,033m, 西峰5,833mの処女峰の登頂を目標」と明記して、四川省登山協会に登山許可の申請をした。ところが、四川省登山協会からは「央莫龍(ヤンモーロン)6,060mの登山」として登山許可証が発行され、「2002 Japan Yangmolong Expedition 」との遠征隊の名前が私達に与えられた。又、中国登山協会から来たビザ取得用の招聘状にも「央莫龍(6,060m)登山」とはっきり明記されていた。
成都から、康定(カンデイン)、雅江(ヤージャン)、理塘(リタン)、そして四川省の西端の町巴塘(パタン)へと車で移動。巴塘の手前の党巴(ドンパ)村から、2日かけて歩いた4,500mの地、アルプス的な素晴らしい景観の玉曲川(イーチュウ)上流の緑の放牧地に我々のBCを建設した。余りにも美しい所であったので、私達は「ハッピー・バレー」BC」と命名した。
中村氏達が感動したと言う、4,800mの山上湖「ヤモーチョーキン」から更に東方の、標高4,900mにC1を建設。何度か偵察したが、央莫龍(ヤンモーロン)6,060mの南面は、岩壁と懸垂氷河、更に稜線から大きく張り出した雪庇で堅くガードされ、我々の実力ではとても登攀は困難と判断した。この山塊は、幾つかの氷河と多くの山稜が入り組み、非常に複雑な地形であり、予想以上に難しい山であることが判ってきた。中央峰6,033mと西峰5,833mのコルに突き上げる中央氷河を登り、中央峰経由で主峰の央莫龍(ヤンモーロン)6,060mに登るルートを考えて、コルの下の5,335mのプラトーをC2予定地とした。
コルからの偵察では、中央峰は稜線が岩壁に遮られて相当厳しく、且つ中央峰から央莫龍のピークにいたる1kmのナイフリッジの稜線は余りにも遠く、私達4人の隊で、この長距離のアタックに挑むのは余りにも危険が大きいと判断し、中央峰6,033mと西峰の党結真拉5,833mの二峰の登頂に精力を注ぐ事にした。

6月10日のC2予定地に装備をデポシ、5,565mのコルまでのルート工作と偵察を完了し、翌6月11日に一旦BCに降りて、アタックにそなえて6月13日迄BCで休養した。

6月14日から再度登山活動を再開し、6月17日に西峰の党結真拉(ダンチェツエンラ)5,833mをアタック。上部アイスファール帯のフィックス(50m x 3本)を越えて、宮川・村山が先行。コルから一段上がった所からは、党結真拉の稜線は、アンデスのアルパマヨのようなナイフリッジになっており、宮川・村山の二人はダブルアックスで登攀した。
鮫の口のようにあいたクレバスを右の方にトラバースし、500m以上バッサリと切れ落ちている急傾斜の怖い氷の雪面を登った。ナイフリッジになった稜線に戻ると、堅い氷と柔らかい雪の入り交じった不安定な箇所が続き、おまけに雪庇が張り出して、大変微妙な登攀であった。12時10分、遂に二人は未踏の党結真拉(ダンチェツエンラ)5,833mの頂上に初登頂した。
朝4時にC2を出発してから、8時間の厳しい登攀であった。
田中・阪本は、登攀スピード及び技術的に深追いするのは危険と判断し、5,565mのコルで登頂は断念した。

翌6月18日に宮川・村山で中央峰6,033mをアタックする予定であったが、登攀用具が不足気味であること、二人は党結真拉(ダンチェツエンラ)の登攀で疲れており、且つ中央峰のアタックを延期する事は登山日数の制限からも無理なので、残念ながら中央峰の登頂も断念せざるを得なかった。

当初の目標であった最高峰の央莫龍(ヤンモーロン)6,060mには残念ながら登頂することが出来なかったが、これまで誰も手をつけた事がなかった純白の秀峰「党結真拉(ダンチェツエンラ)5,833m」を初登頂出来て、大変満足であった。 又、この魅力的な山塊を世界の山岳界に紹介する情報を得られた事は非常に意義があり、大収穫であったと思っている。テント、ロープ、赤旗などの登山装備だけでなく、生活ゴミから使用済みのトイレット・ペーパーまで全てを私達自身の手で完全に撤収する事により、私達の遠征隊の方針であった「クリーン登山」を完全実践出来た事は、無事故安全登山と共に、今回の私達の遠征隊の誇りとしたい。
尚、登山活動を終了し成都に戻った時、四川省登山協会より西峰5,833mの初登頂者の宮川と村山に登山証明書が授与されたが、登山証明書には「党結真拉5,833m登頂」となっており、「央莫龍西峰5,833m」とは記載されていなかった。6,060mの主峰の山名について、再度四川省登山協会及び中国登山協会にて、チェックするよう同行の連絡官に依頼したが、未だ回答が届いていない。

満開の石楠花、紫ツツジ、イエロー・ポピー等の花の香り芳しい、ハッピー・バレーBCの上に、峻厳と聳える魅力的な未踏の雪氷の秀峰に、爽やかな、すがすがしい登山を出来た私達は、本当に幸せ者と、大変嬉しく思っている。
この山塊の美しい自然環境が、何時までも破壊されずに、現在の状態で保護されん事を願ってやまない。


Map for Dangchezhengla-Yangmolong area