(南ア日本人会会報 スプリングボックNo.231掲載)
「貴方、後xxx年で停年よ。その後はどうするの?」と奥方から聞かれて、
「ハテ、俺の人生は・・・?」と考えさせられている人も多かろう。
今や、売れっ子作家の阿部譲二先生は、刑務所の中で暇をもてあまして、己の人生を考え直されたらしいが、私の場合もそれに近いようだ。
元々、ナイトライフも何もない南アでの生活。おまけに赴任以来、サンクションとかやらで暇を持て余す毎日。そして我が家に帰っても、話す相手のいない単身生活。
大学生の娘二人から、将来の進路について手紙で相談を受けたり、「お父さんは、自分の人生をどうお考えですか?」なんて真面目な手紙を貰うと、暇にあかせて真剣に考えて娘に返事を書く事しばしば。
「私の人生は、山と自然との縁で、全てが廻っているように思えます。貴女達が何に興味を持っているのか知りませんが、自分の生涯を通じて己を没頭出来る何かを見いだして、人生の道を歩かれん事を、父として望んでいます」
「貴女達のお母さんも、音楽と言う人生の伴侶を持っています。対象は違っても、何かに夢中になって生きている彼女の姿は、素晴らしいと思います。」
先日、1年振りに日本に出張したとき「一緒に住んでいたら、毎晩酔っぱらって帰って来るお父さんしか知らなかっただろうけど、離れて文通していると意外と真面目な人と言うことが解ったわ。」と娘達に冷やかされました。
事実、南アでの暇な夜の生活と、娘達との文通が私に考える機会を与えてくれたようです。「おまえ、どちみち成績は悪いんやろ。うちの会社やったら体力だけで採用してくれるで。」と大学の山岳部の先輩に奨められて入社した今の会社。大学の山岳部の汚い部屋へ勧誘に来てくれた当時の若手人事部員が、今の我社のヨハネスブルグ支店長様。縁とは本当に不思議なものです。
今の嫁さん、これ又山の縁。彼女の叔父二人が大学山岳部の先輩、彼女の弟が山岳部の後輩。もう、昔に亡くなった彼女の父親も北大で山に登っていたり、遠縁に山狂いがいたり、山の関係ばかり。お陰で結婚後も、自由に山に登らせて貰っています。これも、山の神の加護と感謝の毎日。
ケープタウンに出張する度に泊まる私の定宿は、ヴィニヤードホテル。ホテルの裏庭から素晴らしい岩壁を眺めていたら「貴方も山がお好きのようですね」と話しかけられて知りあったこのホテルの経営者御夫婦も、私が入っている南ア山岳会の登山家だった。それ以来、会う度に、一度一緒に山登りしようよと話す仲。
最近鱒釣りに夢中になっていますが、毎週のように「次は何処へ行こうか?」と電話してくる南ア空軍の少佐殿は、ナタール・ドラッケンズバーグの山の中で出会った友。
そして、サントン地区の自然保護団体の妙齢(?)の女友達も、これ又自然の取り持つ縁。先日、日本山岳会から手紙が来て「南ア山岳会百周年記念パーテイへの招待状を受取ましたが、遠方なので、当会所属の貴君に代表として、是非出席願い度。」との要請。
「英国山岳会百周年記念パーテイに、槙、松方両氏が出席されて以来の事でもあります故。」なんて言葉におだてられ、山を通じての両国の親善に少しでもお役に立てればと思って、快諾の返事を出しました。
「私の生き甲斐は仕事」と言えば、我社の社長も喜ぶのでしょうが、どうも私を動かす人生は、山と自然のようです。