E 遙かなるシャンペン・キャースル峰

(1988年4月1日ー4日)

シャンペン・キャースル3,377m
4月1日(金): 晴後午後雨
4月2日(土): 曇り後雨、夕方曇り
4月3日 : 曇り、時々雨

南アフリカに来て初めて山らしい山に登ろうと思った山が、ドラッケンズバーグのシャンペン・キャースル3,377mであった。
昨年の8月中旬に、この山に登りに出かけて、吹雪で登れずに涙をのんであきらめた山である。
その後、キャテイードラル山塊を歩いた際に、シャンペン・キャースル峰に源を発するムルワジニ川に鱒釣りに入って、シャンペン・キャースル峰を北部から偵察したりして、機会をねらっていた。
3月中旬に、シャンペン・キャースル峰の南側から偵察すべく、インジャステイに入る積もりであったが、大雨による道路崩壊のため入山出来ずに終わった。
4月1日ー4日は、イースター祭の連休であり、この4日をシャンペン・キャースル峰登山の計画にあてる事にした。南アフリカの登山については、日本のように詳しいガイドブックは殆ど発行されておらず、営林署発行の1/50,000の地図、ホテル発行の手書きの簡単な1/25,000の観光案内地図、そして私の偵察行の時の資料と写真をもとに、実働2日半、ヨハネスブルグからのアプローチと予備を見て、合計4日の山行計画をたてた。食糧は大事をとって、丸5日分を持参する計画を組んだ。
シャンペン・キャースル・ホテルの近くのモンクスコウル・キャンプ場(1,480m)の駐車場より、ケイスブッシュ・キャンプ地までのアプローチが距離的に非常に長いこと、ケイスブッシュ・キャンプ地から、3,050mのグレイス・パスへの登りが極めて急峻で厳しい登りとなりそうな2点がキーポイントと思えた。
従って、4月1日は早朝にヨハネスブルグの我が家を出発し、午後より登り始め、4月2日に登頂して、3日にモンクスコウルのキャンプ場に下山し、夜にヨハネスブルグ帰着。
4日は予備日とした。

4月1日(金): 晴後午後雨
4時起床、5時35分にサントンの我が家を出発。初秋となり、6時過ぎまで薄暗闇の中を車で走る。 ハイデルベルグの街を過ぎる頃より、ルートN3は連休の為か、渋滞。
11時頃までには、遅くともモンクスコウルのキャンプ場に着きたいと思っていたのに、到着したのは14時であった。モンクスコウルの営林署の係官に、入山料1日1ランド、4日分で4ランド(約240円)を支払う。握り飯を腹に入れて、14時25分に出発。空は何時しか曇り空となり、スウインクスよりブラインドマンコーナーの近くに来ると、雨に変わってしまった。道がついているから、遅くなってもラテイクル・ネックよりムラワジニ川に降りてテントを張りたいと考えていたが、土砂降りの雨になってきて、全く戦意喪失。キャスキンピーク3,149mの取っつきの台地の水場の横にテントを張る事にした(17時10分)。激しい雨で、草地も水浸しになっており、大変わびしいキャンプとなった。

4月2日(土): 曇り後雨、夕方曇り。
4時30分起床。5時50分出発。前夜は、雨の降るテントの中、夕食後なにする事もなく、7時頃にシュラフに入り横になった。翌朝2時頃より何度も目が覚め、朝の来るのを待つ時間が長かった。ステルク・ホルン2,793m, タワー2,670m、アンフィレット2,620mの東側をトラバースしてラテイクル・ネックへ延々と道が続いている。
ステルク・ホルンから東に落ちる谷筋へ回り込んだ所で、一人の白人の若者に出会う。
「僕のテント地は、何処でしょうか?」
「え?・・・」
「昨晩から歩き続けているのだけど、僕のテント地は何処か知りませんか?」
どうも、この青年は半分遭難者らしい。
「昨日は、何処にテントを張ったの?」
「河原の近くにテントを張ったよ」
「この地図の、どの辺にテントを張ったの?」
「リーダーは地図を持っているし、何処にテントを張ったか知っているけど、僕は解らない」
「それじゃ、昨日の朝は何処から来たのか、言ってごらん」
「車の駐車場の裏の、大きなキャンピング場に車を止めて、そこから歩いてきたの」
「モンクスコウルというキャンプ場じゃないの?」
「うん、そんな名前だったかも知れない」
まるで、小学校の低学年の子供のような話し振り。
「そのキャンプ場から、どの位歩いてテントを張ったの?」
「うん、良く憶えていないけど、4−5時間歩いていたような気がするの・・・」
「メンバーは、何人くらい?」
「12−13人。その他に、下のキャンプ場に女の子や年輩の人達も泊まってるの」
「君は、どうして昨晩テント地を離れたの?」
「夜10時を過ぎると寒くてね。僕、スリーピングバッグも毛布も持ってこなかったの。
下のテント地の車まで行ったら、毛布があるからとりに帰ろうと思ったの」
「チョット待って。君、登りに4−5時間かかったのでしょう。それなのに、夜10時を過ぎて夜明けまでに帰って来れると思ったの? 時間の計算はしたの?」
「寒いから、歩いていたら暖かくなると思った。3−4時間で毛布をとって帰って来れると思ったんだけど・・・」
どうも、この青年、頭の方も大分おかしいようだ。
「君の言うことは良く理解出来ないけれど、多分君達はムルワジニ川のほとりの河原にテントを張ったのではと推測するよ。私は、これからシャンペン・キャースル峰を登りに行くけど、ムルワジニ川の方に降りてゆくから、君が自分の責任で着いてくるならかまわないよ」
「うん、僕も多分そこにみんなとテントを張ったと思う。貴方の責任にしないから、一緒に歩かせてよ」
大変なお荷物を背負いこんだと思ったが、これも何かの縁。ラテイクル・ネックへ若者と一緒に歩を進める。
「君ね。昨晩テント地を離れる時、リーダーか、誰か友人に話しして、下のキャンプ場へ降りたの?」
「誰にも、言ってないよ」
「それは駄目だよ。僕がリーダーだったら、馬鹿者と怒鳴ってノックオウト・パンチを君に食らわすね」
「うん。悪いと反省しているよ。リーダーに謝れば良いんだね」
何とも、頼りのない青年。ラテイクル・ネックに来ると、ムルワジ川の対岸のピークに穴の空いた岩壁が見える。
「僕、あの穴の空いた山、憶えてる」
それから10分程、高原状のなだらかな道を歩くと、ムルワジニ川がパット眼下に広がり、赤、黄、青のテントが見えだした。
「僕のテントが見えた。僕のテント地・・・」と若者がはしやぐ。
「走って帰って良い? Mr.」
「いいよ。滑って怪我しないようにね。慌てず、ゆっくり降りるんだよ。テント地に帰ったら、みんなに心配かけてすみませんでしたと、謝るんだよ」
「うん。解っているよ。有難う」と青年はきちがいのように、峠から坂道を駆け下りて行った。
峠を回りこむと、キャスキンピーク、ステルクホルンの西壁が左手に見える。ムルワジニ川を挟んで、シャンペン・キャースル峰の岩壁とそれに続く八本歯のような岩峰。
ムルワジニ川の奥には、モンクスコウル峰3,234mとシャンペン・キャースル峰の岩壁が取り囲み、奥の院のように谷を吸収して標高差約1,000mの岩壁に谷は消えている。
8時10分、ムルワジニ川のほとりにたつ。若者達は、数百メートル下流にテントを張っていた。上流の眺めは、素晴らしい景色。シャンペン・キャースル峰に登るグレイスパス3,050mへのルートは、どうもシャンペン・キャースル峰大岩壁の下の草付き尾根を登り、ロックバンドを2段越えたあたりから右手に長いトラバースして、そこから更にロックバンドを二つ越えて右のガリーに入って、大きなギャップのグレイスパスに登るらしい。
遠くの方に、シャンペン・キャースル峰への急峻な草つきの尾根を登りつつある人影を認める。遅々として、進まない。急な登りに相当苦労しているようだ。尾根の取り付き点まで、未だ1時間はかかりそうだ。横尾から涸沢へのようなたんたんとした道を歩く。
9時、尾根への取り付き点にあるケイスブッシュのテント地に着く。河原まで、2リットルのポリタンに水を汲みに出かける。これからの登りは3時間から4時間と判断した。
9時30分、尾根にとりつく。昨晩ケイスブッシュのテント地に宿泊した若者二人が、テントを撤収し、私の姿の見て、慌てて駆け足のように急いで先に登って行く。私は、年寄りの亀のようにのろい歩みなれど、休まずにじわりじわりと登る。傾斜は、30−35度位の急傾斜。5日分の食糧とテント、シュラフをもって、私の荷物は22kg位の重量だっただろうか。汗が、額に滴り落ちてくる。焦らずにゆっくり登っていると、20分もしないうちに若者に追いつき、追い越してしまった。
第一ロックバンドの頭には、約1時間で登れた。早くはないが、自分としては、上々の快調なペース。それほど疲れは感じない。一人だと、どうしても早いペースになりがちだが、今日は慌てずにゆっくり登ろう。第2ロックバンドを越えて、シャンペン・キャースル峰の岩壁の下より、右手の方に長いトラバースが始まる。晴れていた空は何時しか曇り、ガスが出始めた。ムルワジニ川の河原道から見えた先行パーテイが忘れたと思われる水筒が岩の上にあり、ザックに結びつけて担ぎ上げる事にする。
右へ右へと、長い長い草付きのトラバースが続く。スラブ状のロックバンドを一段登らねばならない筈だ。下から見た先行パーテイに追いつき、水筒を渡す。
このへんの山には、勿論道標など全く無いし、踏み跡程度の登山道しかなく、非常にルート・ファインデイングが難しい。ガスが出始め、視界が非常に悪くなってきた。先行パーテイの4人も、ルート・ファインデイングに苦労し、迷っているようだ。トラバース道の何処からスラブ状の第3ロックバンドに取り付くのか、極めて見極め難い所。先行パーテイがもたもたして、なかなか前へ進まない。彼らより少し手前の水に濡れた草付きのスラブを登る事にする。約10m足らずか。コフラックのプラスチックブーツは割とフリクションが効き、草を握り、濡れた岩をプッシュホールドでずり上がる。下りが嫌だなあと思いながら登って行くと、何時しか上の段の草付きのやや傾斜の緩い所にでることが出来た。
更に右上へ右上へのトラバースして、グレイスパスのガリーから来る左側の岩壁の下へ向けて登った。更に第4ロックバンドに出くわす。河原で仰ぎ見た一番先頭の3人組の先行パーテイにここで追いついた。第4ロックバンドのスラブの右手のチョックストンを二人が交代でトライしているが、ザイルなしではどうも突破できないらしい。地図にトレースの書いてある山なれば、何処かにザイルなしで登れる踏み跡があるはずと、30--40m程来た道を逆戻りして第4ロックバンドの登り口を探す。南アの山には日本のように丁寧な道標とか、岩の上に書いた印はない。ガスは益々濃くなり、雨がきつくなってきた。草付きのルンゼからチムニー状の岩の所を登る事にする。約15m。その下に30m位の草付きの斜面が続いているから、落ちてもなんとかなるだろうと思い切って登る事にした。草付きルンゼからチムニーに移るのだが、草が雨で濡れていていやらしい。岩の方が安心出来る。今日のように天気の悪い日は、やはり一人では何となく心細くなる。チムニーを乗越して更に20m程45度くらいの草付きの斜面を這うように登ると、ヒョッコリ道にでた。やはり、第4ロックバンドは、もっと手前から楽に越えられたらしい。
踏み跡の道にでたので、おやつを食べて小休止。追い抜かした男性一人、女性二人の先行パーテイが、私と同じルートを登って来たので、先に行って貰う事にした。コルへ突き上げるガリーを目指して急傾斜を登る。先行パーテイは女性が先に立って登っていたが、3m程の岩に手こずっており、ここで又追いついた。雨でズルズルに濡れたスラブがどうしても登れない様子。男性が変わってトライするも、5分くらいかかっても登れず、私に順番が廻って来た。「こんな、ヌルヌルのとこ、登れるやろうか」と思いつつ「年寄りは、エエカッコウは禁物」と一歩目、二歩目はフリクションを効かせて登り、その後はズボンの膝のフリクションを使って、ヌルヌルのスラブをはいずりはいずり登った。「まるで夜這いの姿みたいや」と苦笑しつつ・・・。後に続く、白人の女性達も、私の真似をして夜這いスタイルで登って来たのには、悦に入ってニッコリ。更に右に廻りこみ、岩壁の下の岩小屋を左に見て、ガリーへ 降りる。小窓の王から、三の窓へ行く時の池の谷ガリーへの下りのような感じ。ガリーへ降りてから、約100mの急な登りを上がり、グレイスパス3,050mに着いたのは、13時40分であった。思いの外時間がかかってしまった。レソト側から吹き付ける強風で、峠は大変寒い。
雨で衣服が濡れた為か、ふるえが来る。コサザ川の方に200m程下り、キャンプ地を探す。
風当たりの少なそうな川辺に、ツエルトテントを張る事にした(13時55分)。
テントの中にゴロリと横になり、暖かいスープにて腹をみたし、ホット一息ついた。
明日の天気が、どのように変わるかも知れない。 今日は、かなり疲れた。でも、テントを張って、熱いスープを2杯飲み、ウイスキーで暖まると随分と元気が出てきた。
18時テント地帰着の予定で、14時45分に頂上を目指す事にした。非常食2食、セーター、ブタンバーナ、食器、ヘッドランプ、ローソクをサブザックに詰め出発。シャンペン・キャースル峰はグレイスパスに登ってしまうと、広大な高原状の緩やかな起伏の山となる。コサザ川の右手のレソト国側にある3,292m峰を登り、尾根づたいに3,377mのシャンペン・キャースル峰に歩を進める。ナタール州側は、数百メートル切れ落ちた断崖だが、レソト国側は極めてのんびりした高原ムードだ。難なくシャンペン・キャースル峰のだだ広い頂上に到着。下りは、ナタール州側のモンクスコウル3,234mの岩壁やキャスキンピーク3,149mの秀峰を見ながら、のんびりと17時30分にテント地に帰着。
チーズを酒の肴に、ウイスキーの水割りで一人で乾杯。月が出だした、満月である。
遙か離れたテントから笑い声が聞こえる。一緒に杯を酌み交わし、月をめでる友がここにいてくれたらと、いささか寂しさを感じる。ラーメンでの夕食後、19時半に就寝。またまた、長い夜であった。皎々と照っていた満月も、何時しか雲に消されてしまい、12時過ぎより雨に変わった。

4月3日 : 曇り、時々雨
4時半起床。空はどんよりとした曇り空。紅茶とカンパンの朝食。ヨハネスブルグの山道具やで売っているこのカンパンは8枚で1.10ランド(約66円)。昔、大学山岳部のヒゲという後輩が、彼が特別のレシピーで考案したヒゲパンと言うカンパンが一時流行ったが、それに較べても遜色ない味である。
6時になるも天気は相変わらず曇り空で、ガスが出だし、今にも雨が降りそうな嫌な感じ。今日も、又雨になりそうだ。早い目に、ケイスブッシュのテント地まで降りてしまった方が良さそうだ。他のテントは、未だ静かに寝静まり、人影見えず。
テントを撤収し、6時40分出発。
グレイスパスより急なガリーを下る。100m降りてから、右の方へ長いトラバースが始まる。雨がポツリポツリと降り始めた。雨具をつける。昨日夜這いスタイルで登ったスラブは、滑り台の要領で腰を下ろして滑り降りた。4段目のロックバンドは昨日登った所より、もう少し右手(下から見ると左手)の方に踏み跡がかすかについており、割と簡単にスラブをおりる事ができた。昨日は、ガスで踏み跡を見過ごしてしまったらしい。第3ロックバンドを慎重にくだり、8時5分にトラバースを終了。雨があがりだした。雨具を脱ぎ、大休止。一応、問題となる地点を過ぎて、ホット一息。後は、急なくだり道を降りるのみ。南アルプスの農鳥岳から奈良田におりる「おつねの泣き坂」のような急な下り道を、一人テクテクと下る。ケイスブッシュのテント地に9時5分に降り立った。さすがに足が、ガクガク。よく、この急な登り道を一人で登ったものと、我ながら感心する。
ムルワジニ川の延々と続くブッシュと草原の下り道は、嫌になる程長かった。昨日は、シャンペン・キャースル峰への取り付き尾根を眺めながら歩いたので、余り退屈もせずに歩けたのに。
ラテイクル・ネックヲ越えてトラバース道に入る頃より、又雨となる。
ブラインドマンコーナー12時35分着。雨は一層激しくなりだした。スフインクスの岩の下で雨宿り。先着の5人のパーテイも紅茶をわかして休んでいる。約1時間、オーバーハングの岩の下で休息の後、雨が小やみになったのを見計らって下りだす。
モンクスコウル・キャンプ場の少し手前の民家の前で、ズール人の子供が杖を売っている。1本1ランド(60円)。垢に汚れた5−6歳の女の子だが、目がとても美しい。
小銭の1ランド・コインは財布にはない。2ランド紙幣を出して「2ランドしかないから、1ランドは君へのチップとしてあげるよ。1ランドで、お父さんにキャンデイでも買って貰いなさい」と女の子に渡すと、彼女は大喜びで我が家に走って帰って、父親を引っ張り出して来て、ズール語で何かを話しかけている。「あのオジサンから2ランド貰ったの。1ランドは私の分よ。キャンデイ買ってね、お父さん」とでも言っているのであろうか。父親が家の戸口から「ダンキー、マスター」と私の方に手を振っている。日本では、杖を60円で売ってもいないし、又60円のチップでこれだけ喜んで貰える事もあり得まい。別に大層な事をしたことでもないけれど、ズール人の小さな子供と父親が喜んでくれる姿を見て、何となく嬉しくなる。
モンクスコウルの駐車場に15時過ぎに帰着。 1日の予備日が余っているので、今日はここで泊まって行こう。テント地代13ランド(約800円)を支払い、車をキャンプ場の方に移動し、4−5人用の乾いた大きなテントを張った。
車の中のアイスボックスに入れてあったビールは、未だ冷たかった。無事下山出来た事を祝し、乾杯。山を歩く時は一人でもよいが、テント地に入って1日の疲れを酒でいやす時には、やはり語り合える友が欲しい。
このキャンプ場にも設備が整っており、清潔なトイレ、シャワー・ルーム、炊事場がある。2晩振りにシャワーを浴び、さっぱりとした気分になった。すっきりした気分で、三本目のビールは、東京外大に合格した長女の公美子に乾杯。
長女の大学入学、そして初めてのトラッケンズバーグでの満足出来る登山を出来たことを祝した。

昨年8月には、ホテルからシャンペン・キャースル峰に日帰りでアタックする積もりいたが、たとえ早朝の2時か3時頃に出発しても、天気が良くても私の体力ではシャンペン・キャースル峰への安全な登頂は不可能であったろう。
まして、吹雪の中を無理して登っていたら先ず遭難ものであったろうと、自分の不勉強を反省させられた。何処にいても、山に対する知識と経験、そして山に対する謙虚な姿勢が大切と痛感させられた。
臆病風にふかれて、昨年は敢えて登ろうとせずに登頂を断念して残念であったが、今日やっと登頂の喜びを味わうのも、これ又歳相応・実力相応の山登りと愉快なり。
4杯目のビールで、更に乾杯。半年以上かかって、ようやく登れたこのシャンペン・キャースル峰は私にとって「遙かなる山」であった。