9.湖北中央部藪山縦走   
(福井・滋賀県境の山塊)

(2004年3月5日〜 9日)

今西錦司さんの随筆集「自然と山と」の中の「地元のヤブ山」(1966年筆)という文章に次のような言葉がある。

「地元のヤブ山ぐらいは、なんの雑作もなく歩けるのでなくては、おかしいはずだが、まだなかなかそうはゆかない。精通していない証拠であろう。それにしても、ヒマラヤの山でさえこのごろは、たいてい一度で成功しているのに、一度で成功できるとはかぎらない山登りが、こんな標高の低い地元の山にあるなんて、なんというおかしな、また考えようによっては、なんと恵まれたことだろう。これではいくつになっても、山登りから足が洗えそうにない。」
今西錦司さんの影響を受けてか、支尾根が複雑に発達した迷いやすいヤブ山を歩くのが、私も還暦を過ぎてから好きになった。登山道もない樹林とヤブの長大な尾根の為、誰も縦走をしようともしない見捨てられた尾根を、1/25,000の地図で構想を練り、ヤブが埋まった積雪期にトレースする面白さに、私は大きな魅力を感じる。
実働4日・予備2日の予定で、湖北中央部の粟柄峠から、大谷山813.9m迄南下し、大谷山から若江国境尾根(福井県と滋賀県の分水嶺国境尾根)を西に向かい、858m峰の少し北のジャンクション・ピークから再度南下し、三重嶽974.1mから武奈ヶ嶽865mに登って、つのかわ角川へ下山する、約20kmにおよぶ湖北中央部の静かな忘れられた長大な樹林とヤブ尾根の縦走を計画した。この尾根筋は、登山道が殆どついていない、樹林とヤブの何のへんてつもない長大な尾根の為か、これまで無雪期のみならず、積雪期完全縦走の記録も未だ私は目にしていない。1000m以下の低山だが、樹林とヤブで視界がききにくい上に、支尾根がたくさんでている複雑な地形、しかも日本海性の気象条件の影響下にある悪天候地域で、日本海からの強風をまともに受ける豪雪の山塊だ。

2002年2月にマキノから寒風に登り、赤坂山、三國岳から乗鞍岳へと縦走して敦賀国際スキー場におりる3日間のラッセル山行を楽しんだ(メンバー:L阪本公一、平井一正、八太幸行、佐藤典子、能田直子、西岡圭子)。昨年の2003年1月11日ー13日には豪雪の若越国境尾根を敦賀の野坂岳から、三国岳、赤坂山に登って粟柄峠からマキノへ下山する縦走を行った(メンバー:L阪本公一、平井一正、堀内潭、牛田一成、朝倉英子、佐藤典子)。今回の縦走は、そのつづきの尾根であり、最も奥深い山域への長いラッセル山行である。このヤブ尾根の完全縦走が成功すると、この山域の主な稜線を踏破したことになる。
今回のメンバーは、京都山岳会の宮川清明さん、AACKの堀内潭さんと私の3人。2004年3月5日に、実働4日・予備2日の食糧を担いで、勇躍出かけた。


3月5日(金)曇り時々晴れ。

三重嶽の北方稜線
(夏道無し、無雪期は強烈な藪)


京都駅7時37分発のJR湖西線に乗車し、マキノ駅に8時48分着。駅前よりバスにて、マキノ・スキー場高原温泉さらさ前へ。この温泉は、一昨年にマキノ町が村おこしの一環計画として建設した立派な温泉場。前夜の雪でマキノ・スキー場は50-60cmの積雪。スキー場右奥の赤坂山登山道をワカンをつけて登る。装備と食糧6日分を担いだ我々の荷物は約18-20kg。曇り空なので、それほど汗をかくこともなく粟柄峠に4時間弱で着く。粟柄峠から尾根を南下するが、笹原の上に積もった雪が潜り、膝くらいの湿雪のラッセル。時々晴れ間がでて、左手前方に琵琶湖がかすんで見える。日本海にある低気圧の影響か、強い風が東面から吹きつける。寒風を過ぎると吹きさらしの稜線となるので、寒風の西側のブナ林の中に風をよけて幕営をした。
  京都駅/7:37発 マキノ駅/8.48, バス マキノ駅/9:10発 マキノ高原温泉/9:30
四阿屋/11:35 粟柄峠/13:32 寒風/16:10


3月6日(土)終日風雪。

広いブナ林の中のラッセル

寒風のテント地を7時10分出発。琵琶湖を左手に見下ろしながら、低い灌木と雪から頭を少し覗かせた笹原の尾根筋を、強風を受けながら進む。約1時間で大谷山813.9m。大谷山から尾根筋は複雑になり、迷い易い所。美浜町山遊会が最近付けた小さな標識や赤旗、灌木に巻き付けた黄色と黒のテープが、非常に有効な目印となり、大助かりである。新庄から粟柄谷沿いに南下してきた林道と、石田川とマキノ町からくる3本の林道が合致する峠への下りは、ブナ林のやや狭い急降下の尾根だ。美浜町山遊会のテープがなければ大変迷いやすい。峠は広く開けた盆地になっており、「大谷山登山口」と書いた美山町山遊会の標識がたてられていた。峠を少し南へ行き深くえぐられた川にかかった橋を渡った所が、河内谷からくる林道とマキノ町からくる林道との三叉路となっている。ここから、西の方にのびる尾根にとりつく。尾根の末端は35-40度の急傾斜だが、目印の黄色と黒のテープに導かれて、強引にヤブの中の雪面をラッセルして登った。30-40分登ると、ブナ林の尾根となる。強風にあおられて舞う粉雪の中を、黙々とラッセルする。視界は余りきかず、どこをみても同じような単調な景色の、ブナ林の尾根を歩む。でも、他人のトレースが全くついていない新雪のラッセルは、実に気持ちが良い。私達だけの山を、楽しんでいるのだとの喜びが、ラッセルの疲れをいやしてくれる。 風雪は一向に弱まらない。少し早いが、950.1mの一つ手前の広いピーク(約935m)で行動を打ち切り、風の当たらないブナ林の中に幕営した。
  起床/5:00 幕営地/7:10 大谷山/8:10 新庄からの林道峠道(大谷山登山口)/9:55
950.1m峰の一つ手前のピーク(935m)/14:00


3月7日(日)曇り後風雪。
昨夜は強い風と雪が降りしきり、夜中に交代で、何度かテントの周りを除雪した。昨日からの新雪は40-50cm。5時に起床するも、雪は未だ激しく降っており、視界は極めて悪い。荷物を準備し終わり、テントの中で約1時間待機した。ガスが晴れだしたので、8:10にテント地を出発。南西の方に三重嶽がかすんで見えだした。だらだらした広い尾根を約40分ほど登ると大きなパネルアンテナが立っている950.1mのピークに着いた。

滋賀県最奥の山「大御影山」950.1m

「大御影山」と書いた手書きの標識が立木にかけてあった。河内谷から沢をつめてこの山に登る登山道が出来たのだろうか?大御影山950.1mから南南西の方向に、三重嶽が雲間から姿を見せた。大御影山からは、稜線はやせた尾根となって北北西の方にのびている。左手にでる雪庇に注意しながら、ブッシュを縫うように下る。コルから、尾根は今度は少し南南西にのびて780mのピークへの登りとなる。このピークをおりると、今度は尾根は再度北北西に変わる。稜線がクネクネと曲がっていて、複雑きわまりない地形だ。ここからジャンクション・ピーク迄の登りは、次から次へと小山があらわれ3時間強の厳しいラッセルの登りであった。遙か北の雲谷山786.6mからくる尾根とのジャンクション・ピークには、「三重嶽入り口。登山道未整備」の標識が立木にぶら下げられていた。その横の立木に巻いた黄色と黒のテープにH15/11/24とマジックインキでの書き込みがあった。北の耳川の支流能登又谷から北方稜線に上がる夏道を、三重嶽まで延長させようとの試みがなされているのだろうか?このジャンクション・ピークから我々は進路を南にとり、三重嶽を目指す。風雪が又激しくなり出した。北西の強い風が吹き出し、気温も急速に下がってきた。西高東低の冬型気圧配置になってきたらしい。少し早いがジャンクション・ピークの次の858m峰の広い林の中に幕営した。
起床/5:00 テント地/8:10 大御影山950.1m/8:53 ジャンクション・ピーク/12:15
858m峰/13:00


3月8日(月)曇り時々晴れ。
昨日昼頃から降り出した雪は、その後も降り続けた。夜半に30-40分間だけ雪が止みおぼろ月がでていたが、又本格的な激しい降雪となり朝まで降り続いた。昨日は予定していた三重嶽まで行き着けなかったので、今日は少し天気が悪くとも行動することにした。昨日来の雪は60-70cmも降り積もっており、新雪のラッセルにあえぐ。重荷を担いでの膝からもも迄のラッセルは、疲労が激しくスピードも極端に遅くなる。出発して30分ほどしてからは、トップが空身で50-60歩程ラッセルし、後の二人が荷物を担いでつづくダブルボッカ形式で進む事にした。速度は遅いが、体力の消耗は随分楽だ。ピーク889mは広い尾根が南西にのびているが、これは天増川の方におりている尾根だ。1998年10月に石田川河内谷をつめて三重嶽を登ったときは、この南西尾根をおりてしまって随分と時間のロスをした。三重嶽につづく稜線は南南東に下る細い尾根だ。5年前の記憶を思い出していると、ガスが突然切れて、どっしりした三重嶽の前衛峰が見え出した。南南東の尾根を空身で少し下って再確認をした後、全員そろっておりる。キーポイントになる箇所を無事通過できホットする。コルからは、又ダブルボッカでラッセルに継ぐラッセル。空身でも、もも迄の登りのラッセルはきつい。ピーク943mを越えると大きな樹林がなくなり、尾根筋に雪稜があらわれてくる。小さいが東側に雪庇がでているので、稜線の西側のブッシュがらみに登る。しんどい膝からモモのラッセルがつづく。三重嶽前衛峰は灌木もまばらになり、真っ白なだだ広い尾根となって前方に立ちふさがる。実に気持ちよい登りだ。前衛峰の上に登ると、広い尾根はコの字型になっており、対岸に大きなブナ林の三重嶽本峰974.1mが姿を現した。広い尾根は傾斜は殆どないが、ラッセルは深い。相変わらず、ダブルボッカ形式で、三重嶽頂上を目指して、尺取り虫のように進む。空身でトップを歩いていた堀内さんが「頂上の見晴台があるぞ」と喜びの声を上げる。13:00ようやく三重嶽頂上に登頂。マキノから歩き出して、4日目、長い長いラッセルだった。既に予定よりかなり遅れており、明日からは予備日をくいつぶす事になるので、今日は、出来れば武奈ヶ嶽との中間地点まで足をのばしておきたい。三重嶽登頂の喜びもそこそこに出発。三重嶽からは、広い尾根は傾斜の緩い下りとなるが、荷物を担いでのラッセルは無理。ダブルボッカ形式を続けて広い尾根を南西に進む。855mへの登りかえしはきつかった。武奈ヶ嶽への尾根が、真南に急傾斜で曲がる所は非常に間違い易い箇所なので、この斜面をおりきってから幕営したかったが、全員かなり疲労がたまってきたので、屈曲点の少し手前のブナ林の中で幕営した。
  起床/4:00 テント地/6:40 ピーク889m/7:23 三重嶽/13:00 710m近辺/16:10


3月9日(火)曇り後晴れ。
広い尾根から灌木の急斜面を南に下る。顕著な尾根ではなく、急な斜面となってコルにつながっているので、ルート判断が大変難しい地形の所だ。今日は視界がきいて、対岸の武奈ヶ嶽からつづく尾根が見えるので、方角を見失う事はなかったが、視界が悪い時は要注意の箇所だ。コルからのヤブが深かったが、日帰り登山者がつけた赤いテープとナタ目に導かれてルートをとった。昨年2月に角川から武奈ヶ嶽を経て三重嶽に登ったが、あの時にはこんなナタ目やテープは何もなかった。その後、大人数で登山道を整備しようと、切り開きをやったのであろうか。今日も、湿雪で雪は深く、ダブルボッカ形式で進む。
連続5日目のラッセルで、相当疲労がたまってきた。石田川ダムから上がってくる夏道のジャンクション・ピーク迄の登りは大変きつかった。今日は久しぶりに太陽が出始め、小春日和のような陽気となった。天気が良くて気持ちが良いが、ラッセルすると汗だく。昼前に、ついに待望の武奈ヶ嶽865mに到着。三重嶽を振り返り、そのずっと向こうの大御影山950.1mが遙か遠くに望まれる。実によく歩いたものだ。武奈ヶ嶽から角川へおりる尾根は南南東にのびているが、うっかりすると西南にのびる広い尾根にだまされる。武奈からの下山ルートを慎重に偵察して下った。今回のヤブ山完全縦走もほぼ終わりに近いが、下りなのに重い雪のラッセルに苦しんだ。角川の光明寺の屋根がみえだし、5日間ずっとワカンを履いての長いラッセル山行は完了した。悪天と深い湿雪の新雪に苦しんだラッセル山行であったが、この数年来の目標であった湖北中央部ヤブ山積雪期完全縦走を達成出来、充実感のある感慨深い山行であった。
起床/4:00 テント地/6:30 急斜面下のコル/7:20 ジャンクション・ピーク/10:30
武奈ヶ嶽/11:45 角川/15:15