メキシコ最高峰オリサバ

(1998年4月23日ー5月2日)

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広島の吉村千春さんの企画で、
須藤建志さんとメキシコの最高峰のオリサバ峰を登りに行った事があった。
一行は、須藤建志氏をリーダーに合計10人 。オリサバ峰は、マッキンリー、ローガンに次ぐ北米大陸で第三の高峰で、5,747mとも、5,699m、又は5,611mとも言われる活火山である。

ロスアンゼルス経由メキシコに入り、翌日にメキシコ市の西南にあるネバド・デ・トルーカという4,517mの山に高度順化に出かけた。

翌々日の4月25日にマイクロバスにてオリサバ峰の麓にあるトラチチカ村に移動。
ガイドのレイエス一家の経営する民宿に一泊した後、4輪駆動のトラックで、もうもうと砂埃のたつ悪路を2時間半。
サバンナ状の高原台地の4,260mにあるピエドラ・グランデと言う避難小屋迄あがった。避難小屋は2段仕切の40人位泊まれそうな立派な石づくりの小屋だったが、シーズンオフの為か、利用者は我々だけで、快適に使わせてもらえた。

27日は、岩壁帯の始まる4,700mまで高度順化のハイキング。

オリサバ峰の氷河もエルニーニョの影響か随分と後退してしまっており、以前は氷河の舌端であったらしい4,600m近辺は、完全なガラ場となっていた。

アタックの日の28日は、夜中の2時に小屋を出発。
2人の観光組と高度順応が上手くいかなかった二人が抜けて、登頂メンバーは須藤リーダー以下計6名となった。
ヘッドランプをつけて暗闇の中を歩く。ルートを熟知している2人のガイドに導かれて岩壁帯を登り切り、雪面に出たのはちょうど夜明けの6時5分であった。
山々がピンク色に輝き出し、自然の荘厳さに感動。
斜度15−20度の緩やかな斜面に50-60cmのとがった氷塔のペニテントが波打つアイス・バーンを右に左にと迂回しながら登る。
昼間の太陽熱で融けたのか、雪はカンカンに凍ったアイスバーンになっていた。傾斜30−35度のアイスバーンの所で、ガイドがフィックスを張ってくれたが、後はだだっ広い真っ白な斜面をコンテニュアスで登り続ける。太陽が照りつけ、周りの景色は何の変化もない単調な氷化した雪面だけの、眠たくなるような登り。歩けども、歩けどもピークの岩峰は近づかない。もう、うんざりしてきた頃にようやくコルに着いた。
右か左の岩峰が最高峰のピークと思っていたが、コルに上がって唖然とした。非常に深く落ち込んだ火口壁の向こう側に、遙かに高いピークが聳えているではないか。
ガイドが「おめでとう」と皆に声をかけて来る。「ピークまで標高差で未だ60-100m位ありそうです。まあ、ここで良いとしますか」と須藤さん。
最高峰に登るのは、もっと下の方で右手にトラバースして登らねばならなかった筈。恐らく須藤さんと、吉村さん以外の4人の高齢者の遅いペースから判断して、ガイドはこのコルを我々の最高到達地点に選んだのであろう。常に適切な判断をする我々のリーダーの須藤さんも、当然の如く「皆さんご苦労さま。登れて良かったですね・・・。」と皆にねぎらいの言葉をかけておられる。
今日の好調な自分の体調なら、あそこまでなら楽勝にと思う気持ちと、別に処女峰じゃなし、須藤さん達と楽しくここまで登れただけで十分じゃないかと言う慰めの声とが、心の中で葛藤し複雑な気持。
「ここまで来て、最高峰のピークを踏まずに帰るのはおしいなあ。」と思う。
我が家を出る時に家内に言った言葉を思い出す「登れれば良し、登れなくとも良し。いずれにせよ、のんびりと楽しい山旅をしてくるわ。」「気楽に、気をつけて行ってらっしゃい。」との家内とのやりとりを思いだし、須藤さんや他の人たちにも聞こえるように「悦ちゃん、楽しい山登りさせて貰って有り難う」と大きな声で叫んだら、モヤモヤした気持ちも一片に吹き飛んでしまいすっきりした気分になった。
須藤さんはメンバーを上手く満足させながら、隊をマネージする能力をもった登山家であった。
火口壁のコルから、遙か遠くの方まで眺められる。
スイス人の登山家ルネ・デイテールが1956年にオリサバに登った時、こんな名文を書いている。「メキシコの山々から受ける最大の印象は孤独感・孤立感である。まわりには、何もない。山一つ見えないのだ。そこには目に止まるもの一つない。実在感にかける虚空が広がるのみである。この感覚は頂上に立つとき極限に達する。頂上で目は雲のかなたに平原を求めてさまよう。ところが、メキシコの平原はあまりにも遠く、あまりにも低くなってしまったので、天と地の見分けすらつかないのだ。」攻めの登山をする須藤建志さんにとっては、それほどエクサイテイングでなかったであろう、あのオリサバ山行で、あの火口壁のコルで何を感じ何を考えておられたのだろうか。生きておられる時に、聞いておけば良かったと今になって思う。

(注)上記は、須藤建志氏追悼集「生きて帰れ」に掲載した追悼文である。」