(2005.6.10〜7.6)
今回の旅では、ラパスで一番ホテルを経営されている日系一世の南雲謙太郎さんに随分とお世話になった。こんなに楽しいボリビアの旅が出来たのも南雲さんのお陰と思っている。
ラパスの街自身の標高が、3,700-3,800mと富士山の高さ。海抜ゼロの海辺の街マイアミからいきなりラパスについて、ただちに登山活動にはいると高度障害になるのは目に見えている。折角はるばるとボリビアまで行くのだから、出来るだけボリビアを見て回りたいと、登山活動にはいる前に、10日ほどを観光を兼ねながらラパス市内及び近郊の街へ旅行にでて高度順応をしようとの計画をたてた。
サハマ6,542m登山は、ラパスから車をチャーターしてサハマ村に入り、現地でローカル・ガイドや、ポーター、ラバの手配をしたいと当初考えていた。
ラパスで大きな旅行代理店と言われる島旅行社にメールでコンタクトをとったが、まともに返事が返って来ず。ようやく返事が来ても、チャランポランな回答ばかりで全く頼りにならず困り果てていた。やむなく、一番ホテルの南雲さんに御相談したところ、気持ちよくお知り合いの登山専門の旅行社Colibri
SRLを紹介していただいた。
ラパス登山は、通常ラパスの旅行業者はラパスから出入り5泊6日でのパックを組んでいるらしい。暇はいくらでもある私たち熟年登山者は、出来るだけ余裕のある日程で、現地でも第二次の高度順応段階を設け、又サハマ近辺の名所見物にも行きたい と、10日間のゆったりしたスケジュールでColibriに見積もりを依頼した。
Colibriの見積もりは大変リーゾナブルで、ラパス - サハマ間の往復交通費(チャーター車)、テント、料理用道具一式、登攀用具、サハマ村でのロッジ宿泊費、及び10日間の全食費等、全て込みのお任せセットで、一人当たりUS$603.-の見積もりだった。テント等装備や食料も全て自分たちで準備する費用と手間を考えると、Colibri
に任せた方が割安と判断し、全てセットで同社と契約することにした。
又、ラパス市内の観光、テイワナク遺跡の日帰り見学、チャカルタヤ山への日帰り 順応ハイキング、コロイコへの1泊2日の旅、そしてチチカカ湖への2泊3日の旅行
の費用も、合計一人当たりUS$307.-で引き受けるとのことなので、観光の方も全てColobriに頼むことにした。結果として、Colibriに全て任せて良かったと満足している。
6月12日にマイアミ空港でラパス行AA922にチェック・イン。間違いなくラパスに行くとのアメリカン・エアラインの地上員の説明で、荷物もラパス止めにて預けたが、出発1時間前になって、ラパスには着陸せず、サンタクルスに飛ぶとの説明。サンタクルスからラパスへの移動は、現地のAA係員が責任持って手配しているからとの説明であったが、サンタクルスに着いたらAAは全く知らん顔。結局、サンタクルスから、ラパスまでの国内航空運賃一人当たりUS$100.-の航空券を買わされてラパスに移動した。まあ、3時間程度の遅れで、ラパスにつけたのだから、US$100.-だけの出費ですんだのは、不幸中の幸いと言うべきか?
詳しいスケジュールにもとずく行動記録は、別表にまとめたので参照願いたい。
観光期間の印象点のみ、下記することにしたい。
1)ラパス市街は、絶対歩いて見るに限る。三日も歩くと、街の地図が頭に入り、親 しみが一層深まってくる。ラパスはすり鉢状の、坂の多い街。最初は、息を切らして登った急坂の道も、慣れてくるとだんだん楽になってくる。
一週間ほど前は、労働者や市民のデモでかなり混乱していたらしいが、私たちがラパスに着いてからは、街は平穏そのもの。道を急ぐサラリーマン、仲間と話をしながら賑やかに歩く学生達のグループ。街角には、屋台の店もあちこちにでており、道端に座ってポップコーンやパンを売るオバアさんやオバチャンの姿もみられた。ひったくりにはあわないようにと、貴重品はホテルにおいて、街を歩いたが、ラパスの街の散策は実に楽しかった。山高帽子をかぶったオバチャン。スペイン系の血の混じった、ハッとするように美しい若い女性。ラパスの街角で見たいろんな光景が目に浮かび、本当に懐かしい。
2)テイワナク遺跡は、見る価値のある遺跡。大きな石像のパチャママは「大地の母」と言われ、アイマラ族の絶対神らしい。全てを支配し、マネージする能力を持った神だそうだ。日本でも、家庭を牛耳っているパチャママがあちこちにいるが・・。
3)コロイコは、アマゾンの源流にあたるユンガスと言われる緑の多い花の咲きにおう標高1,700mの 保養地。ラクンバルという4,400mの峠を越えて、断崖絶壁にかかる砂埃のたつ道を約3時間。毎年雨季になると、断崖から落ちて死亡事故を起こす車が多いというスリル満点の道。コカとコーヒの産地で有名。コカ農園に見学に行ったが、日本のお茶の木よりも背の低いコカの木から、農民は葉を摘んでいた。
50ポンド袋詰めにしてラパスまで搬入して、ポンド当たりB10.-(\140.-) との由。
マイアミからラパスに着いた翌日にコロイコへの旅に出かけたが、3,700mのラパスからいったん1,700mのコロイコまで高度を下げたのは、高度順応の為に大変良かったと思っている。
4)チチカカ湖は、びわ湖の12倍もある大きな湖。油を流したような静かな湖。ヘイダールがコンチキ号で太平洋を横断した冒険旅行は有名だが、ヘイダールの為にトトラで筏を組んだボリビア人がコパカバーナのすぐ近くの村に住んでいた。
チチカカ湖のボリビア領内にある太陽の島は、景観豊かな島で、インカの遺跡もあり、標高4,200m前後の島の尾根筋を歩く6時間のハイキングは楽しい。尾根筋から、チチカカ湖の向こうにレアル山脈の真っ白な山並みが連なり、壮観だった。
5)チャカルタヤ・スキー場は、ラパスから車で約1時間半。車止めにボリビア山岳会の小屋があり、お茶が飲める。僅か30-40分歩くだけで標高5,395mの頂上。
手軽に高度順応ハイキングが出来るので、結構訪れる登山者が多いという。
6)ボリビアの物価は非常に安い。そこそこ一流のレストランで食事をし、シャドネー・クラスのワインを2本飲んでも、せいぜい5人でB400(1Bボリビアーノ=14円、即ち約5,600円)。
我々が泊まった3スターの一番ホテルは、朝食付きで一泊一人20ドル。宿泊費と食費で1日40ドルの予算を組んでいたが、かなり余裕があった。食費はパンと屋台での食べ物で辛抱すれば、1日5ドルくらいでの生活も不可能ではなさそう。
第一次高度順応期間の観光が終わって、いよいよサハマ登山だ。
ボリビア・アンデス最高峰サハマ6,542m |
標高3,700mのラパス市内から空港のあるエル・アルト市にあがり、4,000mから4,200mの見渡す限り広大な起伏の少ない砂漠地帯を南に向かってランドクルーザでひた走りに走る。荷物の一部は牽引車に積み込んだ。アメリカのアリゾナの砂漠地帯に似た感じだ。途中で車を停めて、ピクニック。約5時間ほどでサハマ村に着いた。意外と雪の少ないサハマの西壁が目に飛び込んでくる。サハマと相対するように、広大な砂漠地帯の平原の向こうに、富士山に似たパリナコタ(6,330m)とポメラタ(6,222m)の2峰が肩を並べて聳えている。
サハマ村は、標高4,200mの平屋建の小さな家が点在する静かなひなびた村だ。サハマ国立公園と書いた看板のある、平屋建の公園事務所で登山届け。お隣の平屋建の瀟洒なロッジが我らの宿。ガイドのハビエル、コックのヘリカ(女性)と運転手
のアントニオが我々の同行者。
ロッジの裏にリャマの群れが草をはんでおり、その向こうにサハマ西壁が威圧的な姿を見せる。
4時頃より、一人でぶらりとサハマ川に釣りに出かけた。割と小さな浅い川だが、水は澄んでおり、いかにも鱒がいそう。 川の畔で村の少年3人に出会う。私の岩魚釣り用の継竿が珍しいのか、少年達がついてくる。今は乾季で水量が少なく、小さな鱒しかいないが、12月からの雨季になると水かさも増え大きな鱒が釣れると言う。そんなことを片言のスペイン語で話をしていたら、私の竿に25cm位のニジマスがかかった。岩魚竿を使い毛針で釣っている私に、少年達は非常に興味を持ったようだ。3人の少年達は、ずっと私の後をついてきて釣りを見ている。一人の一番大きな少年は帰ってしまったが、15歳のルイスと言う少年と8歳のクリスチャンは、熱心だ。
クリスチャンが、「その竿を売ってくれない。いくらなの。」と執拗に話しかけてくる。クリスチャンの目は輝き、実に素直そうな子供だ。「この竿は売れないけれど、小さな竿ならプレゼントしても良いよ。」と私は答えた。ルイスとクリスチャンがロッジまでついてきたので、日本から持ってきた少し短めの岩魚竿に、ナイロン・テグスで毛針のセットを作ってやり、クリスチャンに進呈した。嬉しそうにニコッと笑う、可愛い顔。まるで孫のような気がする。翌日の夕方4時に、サハマ川の同じ場所で再会することにした。
ヒスカ・ワイナポトシの麓の標高4,500m近辺にある間欠泉へ遠足。リャマ、ビクーニャの群れが、広大な平原に幾つかのかたまりとなって草を食べている。ロッジからはサハマの西壁しか見えなかったが、歩くほどに、我々の登路となるサハマ北西稜が見えてきた。サハマは、予想していた以上に手強そうな山だ。ガイドのハビエルは「大丈夫、登れますよ。」とこともなげに言う。
ここの間欠泉は、イエローストンのように水蒸気を空高く吹き上げるものではなく、温泉の源泉みたいなものが、川の横にあちこちから涌きだしているだけだった。ビクーニャの群れが走る。ビクーニャの肉は美味で、キロあたり400ボリビア(約5,600円)もするという。リャマ1頭と同じくらいの値だそうだ。
今日のハイキングの往復約6時間は、結構楽しく退屈しなかった。今日の最高到達点は, 高度約4,500m。
夕方4時に、私はサハマ川へ。クリスチャンが向こうから手を挙げて呼んでいる。
Abuelo Japones(日本人のおじいさん)とさけんでいるようだ。彼はだいぶ前からきて釣りはじめていたらしい。小さなニジマスを手に持って「僕が釣ったんだよ。あげるから貰ってよ。」と私の手に鱒を渡してくれた。私のその日の成果は、15cm程度の小さな鱒2匹。クリスチャンからのプレゼントと会わせて合計3匹。6月29日にサハマ峰からおりてくるから、又会おうねとクリスチャンと約束を交わした。
BCで荷物を下ろすラバ輸送ポーター |
BCに上がる日だ。車で、サハマ川の上流に沿って暫く上がり、車止めまで。そこからは、ラバにより、BCまで荷物を運ぶ。割と傾斜の緩い丘陵地帯のようななだらかな登り。サハマの西壁がだんだんと大きくなる。リャマやビクーニャの姿も見られる。約3時間と聞いていたが、2時間強でBCへ。西壁の真下のだだぴろい砂の盆地がBCだ。こんこんと湧く泉のそばに、幕営。
正面にサハマ西壁が見える最高の場所だ。しかし、風が吹くと砂が巻き起こり、私たちの衣服はみるみる砂で真っ白。テントの中まで砂だらけで、その日以来、砂をかんで動かなくなったファスナーとの格闘が連日つづいた。最後には、私の寝袋のファスナーも壊れてしまう始末。サハマとは、Sand Beach(砂浜=サハマ)の意味だとの珍説も出てきた。
北西稜を歩む (ハイキャンプへは左手の岩壁を 左に巻いて登る) |
5,700mのハイキャンプ。 (水は近くにあるペニテントから作る) |
5,700mのハイキャンプ(Campo Alto)まで高度順応の為に日帰りハイキング。体調の良くない宮川ふみ江さんは、BCにて休養。
ルートは西壁の下を大きく左の方に巻いて、北西稜の肩にでる。BCの前の、ものすごく広い西壁直下の砂の広場からなだらかな丘陵を登ると、その上が更に広い台地になっており、どんどん左に回りこんで最後に急な斜面を登ると、北西稜に突き上げる。高野さんは、約5,400mの肩から引き返すことになった。
肩からも、北西稜は全く雪がついておらず、がら場の急な斜面。ガイドのハビエル、宮川清明さん、朝倉英子さんと私の4人は、黙々と登るが、風が出だした。
北西稜の上に大きな岩壁が二つ立ちはだかっているが、踏み跡は左の方にトラバースしており、左側の大きな岩を回り込んで、不安定なザラ場の急峻なガリーを登る。
強風に吹き飛ばされそうになり、ストックで対風姿勢をとりながら、一歩一歩登る。ガリーを登りきって少し行くと、急な斜面を削って作った鳥の巣のような石組みのハイキャンプ。4−5張りは張れそう。BCをでて4時間25分だった。
ハイキャンプから上は、しばらくはガラ場がつづいており、稜線に立ちはだかる岩壁の手前あたりから氷雪になっている。岩壁を右の西壁側に回り込むようにトラバースして、西壁のクーロワールを70-80m登って北西稜の稜線に戻るのがルートらしい。氷壁となったクーロワールはかなり手強そう。下りは早く、約2時間でBCにおりた。
休養日。BCの夜明けは朝7時頃。気温はマイナス10度前後。
川は見事に氷結しているが、泉は凍ることなく、こんこんと湧きでている。
朝倉さんは、クーロワールの登攀に自信がないからと、頂上アタックを断念するという。残念だが、本人の意志を尊重せざるを得ない。
ガイドのハビエルとクライミング・ギアーの点検と打合せ。ハビエルは人柄が素晴らしい50歳くらいの国際ガイド。しかし、英語は殆ど喋れず、私の片言のスペイン語とチョボチョボ。ドイツからの登山者が多いらしく、ドイツ語は少しは喋れる。彼との意志疎通がうまく行かず、昔ドイツに駐在されていた高野さんに、通訳して貰うことがしばしばあった。
風が吹くたびに、砂煙が巻き上がり、テントの中まで砂だらけ。乾燥しているためか、手もザラザラに荒れてきて、髪の毛の中も砂だらけ。「緑の草原の中のテント地だったら、申し分ないのだけど・・・」と誰かが愚痴をこぼす。
コックのヘリカの料理は、なかなか美味しい。日本人好みに、薄味にしてくれ、
いろいろ工夫をして毎日違ったメニューが出てきた。
いよいよアタックにでるべくBCを10時に出発。ガイドのハビエル、そして今日BCに上がってきたアシスタント・ガイドの地元のマリオ、そして宮川清明さんと私の4人。ハイキャンプまでは2回目なので、もう少し早く登れると思ったが前回より、僅か30分ほどしか短縮出来ていなかった。
午後4時過ぎに、早めに夕食。スープとスパゲッテイ。結構美味しかった。
ハルシオン1錠をのんで、午後5時頃就寝。23時起床。それほど寒くない。
頂上直下のペニテント地帯 (前方の黒点は宮川さんとマリオ) |
0時過ぎに朝食。テルモスに紅茶を詰めて貰い、1時05分出発。
30分ほど、ガラ場を登り、雪が出始めたところでアイゼンをつける。阪本とガイドのハビエル、宮川さんとアシスタント・ガイドのマリオがアンザイレン。
コンテイニュアスで雪稜を30分ほど登り、サハマ西壁の方へ右へ氷壁をトラバ-ス。傾斜40-45度くらいのクーロワールを、ガイドのハビエルが、アイス・スクリューとスノーバーでアンカーをとり、50mロープで2ピッチで登り切る。セカンドの阪本は、ダブル・アックスであえぎながらフォロー。傾斜がきついので、息があがる。宮川さんとマリオは、別のロープで後続。
クーロワールを終えて稜線にでるも、厳しい岩稜がつづき、引き続きスタカットで3ピッチ。暗やみの中をヘッドランプで登攀しているが、意外と時間がどんどんたってゆくようだ。コンテイニュアスで歩ける、傾斜のやや緩くなった雪面にでたのが朝4時半ー5時頃(高度は多分6,100m前後)。
この頃より、私の腹の調子が非常に悪くなり、二度も大便(強烈な下痢)。傾斜のやや緩くなった安全な場所が出てくるまで辛抱して、ハーネスをはずしメイン・ロープもほどいて用便をすませ、又ハーネスとロープをセットするのは一仕事だった。この間に、宮川パーテイに、先に行って貰う。
歩きにくいペニテントの広い斜面がつづき、その向こうに頂上への雪面が見える。ここからはそれほど危険な箇所もなく、広い斜面をしゃにむに歩くのみと思うも、私のペースは極端に落ち、亀のように遅い。ガイドのハビエルに何度かロープで引っぱられるが、「チョット待って」と一息入れないと足が前へ出ない。宮川パーテイは、ペニテントの斜面のだいぶ上まで行っている。30分ぐらいの差がついているだろう。
6,300mぐらいと思われる地点で、嘔土。時間は7時20分だった。頂上まで後どのくらいかハビエルに訊く。「最低3時間くらい」との返事。
宮川さんとは、熟年登山者の安全登山・安全下山の為に「タイム・リミットは10時にしましよう。」と取り決めていた。宮川さんと無線で交信。
「宮川さん、私の調子は悪いので、とても10時までにはピークには行けそうにありません。ここで断念します。宮川さんは、10時を期限に、登頂を目指して下さい。しんどいでしょうが、頑張って、よろしく。」と伝えた。
「了解」との宮川さんの返答。宮川さんは私より30分以上も先行しているし、高所に強い彼のことなら、きっと頂上に立ってくれるだろう。
頂上を目前にして撤退することは非常に残念だが、家内と約束した「安全登山」を潔く実行することに何かしら爽やかな気持ちになる。もうちょっと頑張ったら良いのにと思っているのだろうか、ハビエルは怪訝な顔をしている。
「ハビエル、降りよう。」とうながす。でも、下山でも足は重い。途中何度か、嘔吐。岩稜のあたりで眠くなり、座り込んでウトウト。「こんなとこで寝込んだら、クーロワールの氷壁は降りられないぞ。」とガイドに尻をたたかれ、ヘロヘロになって急傾斜の氷壁を降りる。怖いと言う感覚は全くなかったが、私がスリップすれば、西壁の下のBCまで標高差1,100m以上、二人とも滑落していたであろう。
5,700mのハイキャンプ に着いたのは12時前。強烈に咳き込んで、何度も痰を吐いた。頂上直下で登頂を断念したのは大変残念だったが、私自身は典型的な高度障害の兆候だと判断していたので、登頂を断念し撤退を決断した自分の判断は、正しかったと今も思っている。
宮川さんは9時55分に見事にサハマ頂上に登頂、午後2時にハイキャンプに帰着。「おめでとう」と、宮川さんとガッチリ握手。宮川さんは、さすがに強い。
テントを撤収し、宮川さんとそろってBCに16時30分に無事下山。出迎えてくれた仲間と抱き合って、登頂の感激に浸った。
静かな砂漠の中のサマワ村 |
サハマとパリナコタの間に広がる大平原に 放牧されたリャマとアルパカ |
BCを撤収し、サハマ村へ下山。砂に悩まされたBCだったが、去りがたい気持ちになる。振り返りふり返りサハマ西壁を眺め、なごりを惜しんだ。
午後、サハマ川のほとりにあるHot Springまで汗を流しに行く。少しぬるめだが、正面にサハマ峰が見える、最高の野天風呂。勿論、脱衣場もなにもない、全く素朴な天然の野天風呂。苦労したサハマ峰6,542mを仰ぎみつつ、缶ビールで乾杯。旅の喜びをかみしめる至福のひとときであった。
もう一日サハマ村に滞在する予定であったが、ゆっくりシャワーを浴びたいとの意見が多数で、明日ラパスに戻ることにした。
サハマ村の釣り友達クリスチャン君 |
サハマ村に別れを惜しんでラパスへ。出発前に、ロッジに黒い毛糸の帽子をかぶり、水色のセーターを着た少年が訪ねてきた。以前会った時と違う色の服を着ていたのですぐに解らなかったが、クリスチャンだ。私も紺の厚手の羽毛服を着ていたので、彼もすぐに私と気がつかなかったようだ。「クリスチャン?」と尋ねると、ニコリとうなずく。昨日の夕方サハマ川で再会しようと約束していたが、温泉に行っていて約束を果たせなかった。約束の時間に来ない私が、山で遭難でもしたのではないかと心配して、8歳のクリスチャンがロッジに様子を見に来てくれたようだ。本当に愛しい子供だ。「クリスチャン、有り難う。」を思わず彼を抱きしめ、頬ずり。記念の写真を撮って、おやつをプレゼント。「ムーチャス・グラシャス」とニコッと笑ったクリスチャンは、切り替えギアーのついたマウンテン・バイクに乗って去っていった。何年か後に、ボリビアの孫「クリスチャン」に再会する機会はあるだろうか?