15.ラダック・ザンスカールの旅

(2007年8月22日 〜 9月26日)

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レーの町から眺める旧王宮

 「ラダック」、なんと神秘的な地名だろう。
ラダックとは、チベット語で「峰の彼方」、「峠を越えて」、または「峠の地」の意味という。
ラダックは、「インドの中の小さなチベット」とも称され、
チベット文化圏ではもっとも西に位置する地域。
標高3000m以上を越える山岳・高原地帯で
、チベット本土同様、年間80mm程度の降水量しかない乾燥地帯である。
ラダックはチベット仏教の盛んなところで、チベット仏教のお寺ゴンパが無数に点在する。
精神面では、レーからほど遠くないインドのダラムサラに亡命している
ダライ・ラマ14世の影響を強く受けている。


ストック・ゴンパ
旧王宮から見下ろしたレーの街
スピトクゴンパの砂曼荼羅作り
チョムレ・ゴンパの歓喜仏壁画
リゾン・ゴンパの砂曼荼羅制作
ラマユル・ゴンパの歓喜仏壁
ラマユル・ゴンパ

 ラダックは、現在の中国の一自治区になってしまったチベット本土以上にチベットらしい土地とも言われており、チベット文化と伝統的習慣が未だに根強く残っている地域である。
そんなラダックへ、ぜひ行ってみたいと思い、4年ほど前からいろいろ計画を練ってきた。
今年の夏、ようやくその夢を実現する機会が到来。
一緒に出かける仲間は、京大山岳部の先輩の松浦祥次郎さん、谷口朗さん、福本昌弘さん、伊藤寿男さん、それに山城高校の同級生の八太幸行さんと私の6名。

 ラダックは、インドの北西部のジャンムー・カシミール州に属する同州最大の地方の呼称である。
北西はパキスタンに接し、カラコルム山脈の登山の基地であるスカルドウは、ラダックの北西端の街カルギルから僅か140〜150kmしか離れていない。北西へカラコルム山脈を越えると、東トルキスタン(現在の新彊ウイグル自治区)に接し、北に行くとアクサイチン(中国が実行支配しているが、インドも領有を主張している)、東に行くとチベット高原となり中国のチベット自治区と接する。カイラス山の北に源頭をもつインダス川は、その支流にショク川、ヌブラ川、ザンスカール川、サンギエ・ランマ、ワカ・ロン、ヌル川、ドラス川などがあり、これらの谷間を囲む山岳地帯は、南からヒマラヤ山脈主稜、ザンスカール山脈、ラダック山脈、カラコルム山脈と南東から北西に連なっている。
 ラダックの最高地点はヌプラのサセル・カンリ峰7672m,。ヒマラヤ山脈主稜のヌン峰7135m, クン峰7087m 、ストック山脈のストック・カンリ峰6121mもラダックの有数の名峰である。ザンスカール山脈には、まだ手つかずの6000m台の未踏峰が数多く残っている。
欧州からのトレッカーは随分と訪れているようだが、日本人は意外とこの地域にはあまり入っておらず、又本格的登山に出かけたパーテイが数少ないためか、ザンスカール周辺の山のそのものについては、殆ど紹介されていない状態である。

最近ではあまり使われない用語になったが、「トランス・ヒマラヤ」とは「ヒマラヤの彼方」の意味で、ヒマラヤ山脈主稜の北側に並列して聳える山脈のことをさしており、
チベット側のニエンチェン・タンラ山脈とカンテイセ山脈、インド側ではザンスカール山脈とラダック山脈がこれにあたる。

 1906〜1907年にS・ヘデインが第3回目の中央アジア探検に出かけており、胸を躍らせるような冒険談がヘデインの紀行文「トランス・ヒマラヤ」におさめられている。その時のルートは、シムラ - スリナガル - カルギル - レー - チャン・ラ峠 - パンゴン・ツオ湖 - アクサイ・チン湖 - コンロン山脈の南面 - シアツエ - マナサロワ湖 - ダメン湖 - ガルトク - タンクセ - レーであったあらしい。日本人では, 1908〜9年の第二次大谷光瑞探検隊の橘瑞超と野村栄三郎がラダックを初めて訪れた。1931年冬にはインドに駐在していた三田幸夫がマナリからロータン・ラの登山に出かけている。

 登山や探検とは直接関係はないが、2年程前、たまたま図書館で見つけたヘレナ・ノーバーク・ホッジ著の「ラダック懐かしい未来」(山と渓谷社発行)によって、私の心はますますこの地域に引きつけられていった。スエーデン生まれの彼女は、1975年から16年間にわたりラダックの人々と生活をともにしながら、言語学者としての調査を行った。そのとき彼女は、チベット仏教を基盤とするラダックの人々が物質的には貧しいながらも自然に融和し且つお互い助けあう相互依存の心ゆたかな生活を送っているのに感動した。しかしその後、西欧式の近代化開発がこの地域にもたらされるにつれて、ラダックの素晴らしい伝統文化や自然と調和する生活習慣が崩れていく状況をまざまざとみせつけられて愕然とする。そのような急激な地域文化の変化をみて、ヘレナ・ノーバーク・ホッジは、持続可能で公正な地域社会を実現できないかと、ラダックにおける住民達の活動を積極的に支援してきた。この本は、地域開発と伝統文化とのかかわりあいの難しさを、私たちに教えてくれる本である。

「ラダック懐かしい未来」を読んだ後、ラダックを知るためには、まずラダックの人々の精神的基盤になっているチベット仏教を勉強せねばならないと考え、ダライ・ラマ著の「The Joy of Living and Dying in Peace」をなんども熟読した。生きとし生きるもの(一切衆生)のためにつとめるという利他の心、輪廻転生のこの大宇宙に生を与えられた私たちは他人や動植物等一切衆生を思いやる慈悲の心をもって相互依存の精神で生きねばならないという釈尊の教えを、ダライ・ラマは平易なことばで私たちに説いてくれている。

仏教国である日本に長年住んでいながら、まったく仏教をしらなかった私は、ダライ・ラマの本ではじめて触発された。長尾雅人著「仏教の源流インド」、ひろさちや著「はじめての仏教」、瀬戸内寂聴著「般若心経」などの初心者用の仏教書をひもとき、韓国吉祥寺の名僧法頂和尚の書かれた「無所有」も読んだ。難しい仏教の心髄にはとても入れていないが、すこしは仏教の概観をかじることが出来、チベット仏教を信ずるラダックの人々の心にも一歩は近づけたのではないかと思っている。

 これまでの私は、ただ単に山に登ったり、自然や山のなかを歩きまわるだけであった。が、今回のラダック・ザンスカールへのトレッキングは、ただ単なる山歩きではなく、ラダックやザンスカールに住む人々との心のふれあいを大切にし、般若心経を唱えてチベット仏教のゴンパを巡礼しながら、「生きるということは、どういうことなのか」、「人生の幸せとは、どういうことなのか」を真剣に考え且つ学び、自らをみつめなおす「こころの旅」にしたいと思って日本を出発した。

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