(2007年8月22日 〜 9月26日)
8月22日に関空を出発、デリーに2泊した後、早朝のフライトでラダックの中心地レーに8月24日に入った。レーはインダス河の上流に明るく開けた盆地であるが、岩山と砂漠の土地で、支谷から流れる僅かな水を吸収できる場所だけが緑のオアシスとなり田園耕作地となっている荒涼たる風景。このレーを中心にしたインダス河沿いの村々には、数多くのチベット・ゴンパが残っている。高所順応を兼ね、標高3500mのレーに6泊して、ヘミス・ゴンパ等チベット・ゴンパを9寺参拝した。又、ラダック及びチベット文化をより理解しておきたいと、Igoo
Kehspangの「 Medetation Center 」(標高約4300mにあり)や「 Central Institute of Buddist
Studies 」を訪問した。
更にラダックやザンスカールの現状をより知っておき、この地域がかかえる実情「近代開発と地域文化や伝統の関わり合い」に関する問題も考えてみたいと、「 Women's Alliance
Center 」や「Le Deg (Ladakh Ecological Development Group)」等をも訪問した。
ヌン峰(7135m) |
クン峰(7087m) |
Z8 (6050m) |
Darung Drung Glacier と Z3(6270m) |
パダムの風景(麦をふるう老夫婦) |
Zim (5288m) Mt.Haptal(6220m)? |
Raruの谷の奥の無名峰(6620m) |
プクタル・ゴンパ |
ゴンボランジャン(5900m) |
Pal Lhamoより眺めるRamiyak南東の 無名峰(6318m) |
シムラの街 |
8月30日にチャーターしたジープでレーを出発。ラマユル、カルギル経由で9月1日にザンスカールの中心地パダムに入った。途中リキール・ゴンパ、アルチ・ゴンパ、リゾン・ゴンパ、ラマユル・ゴンパを参拝し、貴重な仏像や壁画を鑑賞することができた。
カルギルからパダムまでは、長時間にわたる悪路のドライブだが、途中ヌン峰(7135m)やクン峰(7087m)の秀峰を眺め、多くの未踏の6000m峰をかかえる幾つかの氷河を眺める楽しい興味あるドライブであった。ヌン峰、クン峰をすぎると次々と氷河があらわれる。
Shafat-Farabad Glacier, Rangdum Glacier, Pundumn Glacier, Pensi Glacier
と6,000m峰をいだく氷河がつづく。このあたりの6,000mの無名峰は殆どが手つかずの未踏峰の筈だ。 Pensi La 4401mを越えるとインダス河の支流のザンスカール川の源流のDoda
River となる。峠の南には西方からDarung Drung Glacier という大きな氷河が入っている。1976年には東洋大がこの氷河を辿ってMt.Doda
6550m に初登頂している。
その南にも、Haskila Glacier, Kasnge Glacier , Hangshu Glacier 、Mulung Glacier が次々とあらわれ、その奥に6000m台の未踏峰が首のぞかせている。各氷河を4−5日ずつの日数をかけて探索すれば、面白かろうと想像するだけで胸が踊る。ダルチャまでは、興奮の連続であった。
パダムは、周囲を標高5000m台の山々に取り囲まれた標高約3600mの明るい広大な盆地。妙高山麓の笹ヶ峰牧場によく似た風景だ。ちょうど麦刈りが終わり、農民達は牛を5〜6頭使って脱穀作業をしていた。刈りとった麦を牛に踏まして脱穀する原始的な作業だが、唄を歌いながら家族でのどやかにやっている。第2回目の高度順応を兼ね、パダムに4泊し、カルシャ・ゴンパ、トンデ・ゴンパ等5ヶ所のチベット寺院に参拝した。
9月5日より、いよいよザンスカールのトレッキングに出発。ガイド1名、コック1名、キッチン・ボーイ2名、馬11頭、馬子3人がわれわれのスタッフ。インダス河の支流のザンスカール川の源流はパダムあたりはまだまだ極めて激流で、大ゴルジュ帯を形成している。ムネを越えてすぐのRaru(又はReru)まで現在車道がつけられているが、将来シンゴラ峠を越えてダルチャまで抜ける道を建設しようとの計画があるという。壮大な計画であるが、あと5年かかるのか、10年かかるのか、道路工事が人力主体のこのインドでは気の遠くなる話である。
9月6日、Raruの小さな湖のそばの快適な林の中のキャンプ地に幕営。幕営後、村の人たちがRaru Tokpo(ラルー川)と呼ぶ谷の奥の氷河を、谷口と二人で偵察に出かけた。1時間ほど歩き、川が直角に曲がるところをまわり込んだら、大きな氷河の最奥部に聳える6600m無名峰を望むことができた。多分未踏峰であろう。この氷河の周辺にはその他にも6000m峰が三山あるようだ。実に魅力的な氷河だ。機会があればこの氷河を探索してみたいもの。
Raruをすぎると車道はなくなり、人間と馬だけがなんとか通れる細い崖道が、大ゴルジュ帯をトラバースするようにつけられている。足を滑らせれば50-100m下のザンスカール川の激流に墜落することになる。黒部の下廊下よりは少しはましな道だが、鼻歌まじりに歩ける遊歩道ではない。気の抜けない高巻道だ。9月7日は、RaruからChangpa
Tselanまで足をのばす。9月8日も、Tselanから暫くはゴルジュ帯の大トラバースがつづく。谷が少し穏やかになり始めるとPurneはもうすぐだ。吊り橋を渡り、対岸のモレーン帯の丘に登るとPurneのキャンプ地に着く。
9月9日は休養日と言う名目にしているが、プグタル・ゴンパまで半日のハイキング。
激流を下に見ながらの高巻道は、相変わらず気が許せない。大岩壁の洞窟に建てられた空中の楼閣のようなプグタル・ゴンパの壮観な姿に息をのむ。午後は洗濯と昼寝、充実した休養日だった。
9月10日は、朝6時にPurne のキャンプ地を発ち、15時に次のキャンプ地のHiに到着するというかなりハードな1日であった。Hiの手前まで来るとGonbo
Rangjon 5900mの垂直の岩峰が見えてくる。
あの厳しい岩峰は、すでに誰かに初登頂されたのであろうか?
9月11日、ザンスカール川最奥の村カルギャクに近づくにつれ、広い台地状の明るい谷にかわり、割と広い耕作地があらわれる。地元の農民が麦の刈り入れや農作業に、朝早くからいそがしく立ち働いている。自給自足の農村だが、そこそこ大きな小ぎれいな農家が散在する。カルギャク村をすぎると、耕作地は消えて、台地状の高原のようなヤクの放牧地となる。無数のヤクが草をはんでいる。カルギャック及び下流の数村の住人なら、自由に放牧できるという。ゴンボランジャンの岩峰の下を通り過ぎ、われわれは12時半にラカンのキャンプ地に着いたが、われわれの荷物を運ぶ馬と馬子は午後5時までやってこず。昨夜放しておいた馬の中1頭が行方不明になり、捜索に時間がかかってしまったとのこと。ザンスカール川は最源流ではカルギャック川と名を変えている。ラカンはそのカルギャック川の右俣と左俣の合流点にある気持ちの良いキャンプ地。右俣をつめるとシンゴラ峠にいたる。左俣の奥はすぐに広大な馬蹄形の氷河となり、5000m台の魅力的な無名峰が聳えている。
4000m以上が初めての経験という4名がいるので、標高4450mのラカンで2泊することにして、9月12日はシンゴラの途中の4800mまでハイキングに出かけた。8時半にCSをでて12:15に帰着。お陰で誰も高度障害にわずらわされることもなく、翌9月13日は3:50にCSをでて8:05にはシンゴラに到着。シンゴラの周辺には、魅力的な5,000〜6,000m峰の無名峰が幾つか取り囲んでいる。峠からの道は意外と悪く、よくこんなところを荷物を背負った馬が歩くと思うようないささか怖い下りの崖道だった。長い下り道を歩き、ラムジャックのキャンプ場に着いたのは14:40であった。
ラムジャックからダルチャまで2日で下山する予定であったが、予備日が1日余っているので、ゆっくりと半日行程の3日間とし、Zanskar SumdoとPal
Lhamoにそれぞれ1泊し、9月16日の9:30にダルチャに下山した。途中Pal Lhamoのキャンプ場の裏山から見た6318mの無名峰(ラムジャックの南西に位置する)は、なかなか厳しそうな魅力ある山であった。多分、未踏峰であろう。
9月16日の昼過ぎに、迎えにきたジープでマナリヘ。途中ロータン峠の手前から、鋭い岩峰のインドラサン6221mと台地状の白銀のデオチバ6001mを望むことができた。この2山は、1962年に京大山岳部の現役学生達が登っており、インドラサンは初登頂であった。
全員毎日が日曜日の停年退職者なので、急いで帰国する必要もないので、避暑地のマナリで3泊、英領時代には夏の首都であったシムラで3泊、そして最後にニューデリーで3泊とのんびりと観光を楽しみ、9月25日デリー発、26日関空着のフライトで帰国した。
レーの街を流れるインダス河本流の東側の山脈がラダック山脈、そのインダス河とパダムの街から南北に流れるザンスカール川の源流の間の山々がザンスカール山脈、そしてパダムから南北に源流を持つザンスカール川の西側に聳えるのが正式にはグレート・ヒマラヤと称されている。が、現地ではザンスカール川をはさむ両山脈をザンスカール山脈と呼んでいるようだ。ラダック山脈、ザンスカール山脈は、割となだらかな女性的な山々が多く、グレート・ヒマラヤは岩と氷の厳しい鋭峰が連なっている。
今回現地に行って初めてわかったが、ソ連製の地図、スイス製の地図とも地形がかなりあやふやに作成されており、標高、山名、地名なども随分異なる。レーで購入した7種類の地図はいずれもトレッキング・マップであり、等高線が全く記載されていない。インド軍の地図は残念ながら手に入れることはできなかった
。Indian Himaraya Maps 「Jammu & Kashimmir (Zanskar ) Trekking _Routes」1:200,000地図が、等高線は入っていないが、地形、地名及び標高が一番信頼できるように思えた。
広義で言うザンスカール山脈、特にパダムから南北に源流を持つザンスカール川の西側の
山岳地帯は、魅力的な6,000m台の鋭峰が数多く聳えており、その殆どが未踏査の未登峰
と思われる。その殆どの山が、未だに世界の山岳界には紹介されていないようだ。この未知山塊の踏査が、近い将来に実現されることを期待したい。我々にとって初めてのザンスカールは、心躍る実に魅力的・刺激的な山域であった。