1. はじめに
2. ラダックの中心地レーからザンスカールのパダムへ
3. 知られざるレルー谷の未踏峰探査
4. ザンスカール最深部トレッキング
5. カルギルからパダム迄の山々
6. ザンスカールの石
7. ザンスカールの花
P6028(Left) |
P6028 |
P6431 |
Bardan Gompa |
Camp Site at Bardan Gompa School |
P6071(R1) |
Reru Camp Site and P6071(R1) |
P5825(R36) |
P5947(R2=Right)、P6036(R3=Left) |
P5947(R2) |
P6036(R3=Right), P6080(R4=Left) |
P6080(R4=Left), P6036(R3=Right) |
P5814(R13=Left), P5677(R14=Right) |
P5677(R14) |
Reru Valley with P5862(R27) and P6158 (R26) |
P5862(R27=Front), P6158(R26=Back) |
P5862(R27=Front),6158(R26= Back) |
Right Branch of Reru Valley |
8月16日(日):曇り後雨(13時過ぎより)。
8:40/ホテル・オマシラ - 10:30/Shila - 14:40/バルダン・ゴンパ学校キャンプ場。
いよいよ、レルー谷探査行が今日から始まる。パダムからシンゴ・ラ向けの自動車道は既にレルー村の先まで開通している由。2年前は、パダムからTsarap河の左岸の車道を歩いたが、今回は車の通らない右岸の旧道を歩くことになった。昔ながらの旧道は落ち着いた趣があり、行き交う車での砂埃を浴びることもなく、遙かに快適であった。10時半頃Shila村の手前より、対岸のKapang Tokpoの右岸にP6028の山容が見えだした。Shilaから更に約1時間歩くと、Kapang Tokpoの左岸奥にP6431と思われる見事な岩壁の鋭鋒が望まれた。マッターホルンにそっくりな山なので、私達は「ザンスカール・マッターホルン」いうニック・ネームをつけた。
Tsarap河の左岸の岩壁上に立つバルダン・ゴンパ は、絵になる光景である。ゴンパを過ぎてから、Tsarap河にかけられた吊り橋を右岸から左岸へ渡り、先ずバルダン・ゴンパ経営の学校の運動場へ向かう。ここが私達のキャンプ場だ。キッチン・スタッフ達は、今日はパダムから車でここまできたという。夕方に馬方3名と馬10頭が、ここで合流の予定。
この学校の運動場は、2年前にも使わせていただいた。又、学校の授業を参観させて貰ったり生徒達と遊んだ楽しい思い出があるので、京都からのお土産として色鉛筆、クレヨン、キャンデー等を持参したが、日曜日とあって学校の扉はしまっていた。入り口のドアにお土産を入れた袋をぶら下げ、先生宛にメモを入れておいた。
テントを設営後、バルダン・ゴンパに参拝。ダライ・ラマ14世が17日からパダムでお説教をされるので、それを聴きにレーから観光バスでやって来た人たちでバルダン・ゴンパはごったがえしていた。
8月17日(月):晴れ後曇り。
8:00/バルダン・ゴンパ学校 - 11:30/レルー・キャンプ場上の尾根 - 12:00/レルー谷屈曲
点 - 13:00/レルー・キャンプ場 (NE33-20 - 04・28 , E76-57- 45・75, 3,808m)。
Tsemasa Nala の右岸に聳える見事な岩峰のP6071(R1)が、キャンプ場からみられる。正面壁はどこから登ってよいのやら、極めて迫力のある岩山だ。レルー迄の車道歩いていると、このP6071(R1)が形を変えながら望まれる。車道には、インド南部からきた道路工事の人夫が沢山いたが、まともに働いているのはほんの僅かで、大半が道に座り込んだり、仲間と立ち話して遊んでいる始末。ダルチャ迄開通するのは、何年先のことやら?
レルーのキャンプ場には直行せず、先ずレルー谷の屈曲点まで出かけてみることにした。2年前にも、谷口と二人でここまで偵察に来たことがあり、広く開けた谷の奥に、P5862 (R27)とP6158(R26)の懐かしい岩峰が見える。レルー谷周辺の山々は数が多く、山名が全くついていない。標高だけでは混同する恐れがあるので、私達は暫定的な山名として「R1」「R27」というような記号を付けた概念図を今回持参した。
キャンプ場は、ドイツ人初め欧州人の団体パーテイでごった返していた。キャンプ場の小さな池に流れ込む清流の中に石けん水を流しているドイツ人の若者がいたので、注意したが、自然環境保護のなんたるかも理解せずに屁理屈を述べて反論ばかりする智恵のない大馬鹿者であった。後にP6071(R1)の見えるレルー・キャンプ場は素晴らしい景観だが、非常識なトレッカーのいるこのキャンプ場には、すっかり魅力がなくなった。
ガイドのツアン君と馬方のリーダーであるテンジン・テイレイ(私達はビッグ・テンジンと呼んだ)と私の3人で、レルー村へ出かけた。既に、ガイドのツアン君は、レルー村の村長に挨拶をすませていたが、レルー谷の入会権を所有するレルー村にテント1張り・1日100ルピーで、入川料を支払っていた。村長によると、レルー谷には地元の村人がヤクの放牧に出かけるだけで、これまで外国人や他の村の人間がレルー谷に入った歴史がないとのこと。私達が、初めての外人登山者との村長の説明であった由。
レルー村の売店の老人に、レルー谷について情報を尋ねたところ、左股は奥まで開けていて歩きやすいと。右股は、途中から大石が転がっており、馬でそれ以上行けないところありとの由。レルー村から見える山について、地元の人たちの呼称を教えて欲しいと頼んだところ次のような回答があった。
P6071(R1) ・・・Skanglaya
P5825(R36)・・・Usuchan
8月18日(火):快晴。
7:50/レルーキャンプ場 - 8:50./屈曲点 - 9:40/ジープ道路の終点 - 15:10/Sumudo = 二 股(N-33-13-30・71, E76-56-50・89, 4,177m)。
今日は快晴で、レルー谷の屈曲点から二股のSumudoの奥に聳えるP5826(R27)とP6158(R26)の鋭鋒が手にとるように眺められる。レルー谷は巾150~200mの広く開けた明るい谷だ。左岸の台地の上を進む。ヤク放牧用の石小屋あたりまで、ジープ道がつけられていたが、ジープ道はここでストップ。何のために道をつけようとしたのか、ガイドも理解出来ないとのこと。屈曲点の手前より、P5947(R2)の頭が望まれた。Onkarから大きな支谷がKang La(5468m)の方に入っており、この支谷の右側にP6036(R3)とP6080(R4)の岩峰が聳える。支谷の出合い下は、平な草地となり、きれいな湧き水があって快適なキャンプ地だ。
左岸にP5677(R14)とP5815(R13)の岩峰が現れる。岩登りの好きな岡部に、P5815(R13)はリッジから登るのか、フェースを直登する積もりかと楽しいやりとりをしながら進む。
左岸台地は、結構アップ・ダウンがあり、土砂流の押し出しのゴロタ石の堆積があって、歩きづらい。前方の二股の奥のP5862(R27)とP6158(R26)の岩峰は、手にとるように直ぐ近くに見えるが、歩けども歩けどもいっこうに近づかない。これがヒマラヤのスケールの大きさだろう。二股のキャンプ適地に到着したのは、午後3時を過ぎてしまった。
日本を出発以来既に12日間たっており、少し疲れが出てきているとも思えるので、天候の悪くなりそうな明日は休養日とすることにした。
8月19日(水):曇り時々小雨。
休養日だが、ガイドと馬方のリーダーのビッグ・テンジンに右股のテント地を偵察に行かせることにした。二人は二股より約2時間ほど歩き、氷河の舌端より手前にある唯一の
キャンプ適地を見つけてきた。谷口、岡部、阪本の3名は、二股のキャンプ地での昼寝ばかりも退屈なので、10:08にキャンプ地を出て、約一時間ほど右股の左岸を歩いて12頃帰着。右股の奥には槍ヶ岳に似たP5825(R19)が聳え、その奥の氷河には左奥にP6110(R20)、そして右奥にP6111(R18)がでんと腰を据えている。
右股の中程に、大きな岩がゴロゴロとかさなっているような斜面あり。馬はこの地点を越える事が出来ないので、その手前のエーデルワイスの咲き乱れる広い平な草地をテント地にしたいとのこと。このテント地の少し上流の流れの緩やかなところから、対岸に渡り二股へは右岸沿いに戻り、左股に入ることにしたいとの馬方の意見があり、これに同意した。
馬方3人のうち、二番目の弟のテンジン・ナムダックがレルーへ下山した。マナリの学校にいっている子供達を、シンゴ・ラ峠越えで送って行くとのこと。馬方は、明日からビッグ・テンジンと一番下の弟のテンジン・ソナムの2人になるが、10頭の馬は2人で十分マネージ出来るという。
8月20日(木):快晴。
6:55/二股キャンプ地 - 9:30/右股キャンプ地 - 11:15/キャンプ地 - 12:30/氷河舌端 - 14:40/氷河二股・P5825(R19)手前 -
16:40/右股キャンプ地(N33-11-51・95, E76-54-58・18, 4,279m)。
昨日歩いた右股の踏み跡をたどる。キャンプ地手前の岩陰にブルー・ポピー(青い芥子)が咲き乱れていた。この後、左股をたどり又ザンスカールの最深部へトレッキングに出かけたが、ブルー・ポピーを見たのはこの時のみであった。気象条件もそれほど変わらない筈なのに、何故レルー谷右股のしかもほんの限られた場所にしかブルー・ポピーが咲かないのか、謎である。
9:30に右股キャンプ予定地に到着。エーデルワイスの咲き乱れる広い河原の快適なキャンプ地である。テント設営後、ロープ、アイゼン、ピッケル、ハーネス、スノー・バー等登攀用具と赤旗竿を用意して出発。
ゴロタ石の丘を越えて、進む。前方にはP5825(R19)の「ザンスカール槍ヶ岳」、その左奥にP6110(R20), 右奥の氷河上に3つのピークが見えるが一番右がP6111(R18)と思われた。 ザンスカール槍ヶ岳P5825(R19)のかなり手前から左に入っている氷河あり、その奥の二つの鋭峰はP6128(R25)とP6088(R24)と思われた。
1時間強で、氷河の舌端に到着。氷河は泥と落石で黒く埋められ、アイゼンやピッケルなしで歩けそうと判断。黒く汚れた歩き難い急斜面の氷河をクレバスを避けながら登る。クレバスを避けながらジグザグに登るので、時間がかかることおびただしい。氷河の状態は余り芳しくなく、クレバスが数多く開いている。既に、14:40になったので、これ以上の無理は危険と判断し、右股最奥部の偵察はここまでとすることにした。
その夜は、ヤクの乾燥した糞を集め、焚き火をしてレルー谷のキャンプを楽しんだ。
8月21日(金):晴れたり曇ったり。
8:00/右股キャンプ地 - 渡渉 - 10:35/二股対岸の台地 - 14:30/左股第一キャンプ地(N33-12-16・69, E76-59-11・20
, 4366m)。
キャンプ地の直ぐ上流の水流の弱いところを選んで、馬で渡渉する。私は馬方のリーダーのビッグ・テンジンに一緒に乗ってもらい渡渉した。右股右岸は、少しアップ・ダウンがある台地を歩くが、ごろた石の上を歩くので結構時間がかかり、二股の対岸まで2時間半程かかった。8月18日と19日に泊まった二股のキャンプ地のちょうど対岸にあたる地点も、広大なデルタ状の台地で、小さな池も点在する実に美しいところ。
二股から左股に入って暫くしてから右岸に渡渉する。最初、馬で渡渉しようとするも、川底の石が丸くしかも苔でヌルヌルしていて馬が足を滑らせてあわや岡部が落馬しそうになった。馬方のビッグ・テンジンは、「危険だから、各自歩いて渡渉してくれ」と指示。かなり川幅の広い地点だったが、急流にストックをつき、慎重に渡渉。やはり、氷河融けの水は冷たい。渡渉後、2時間ほど歩いた地点に、清水のわき出る恰好のキャンプ地あり。
左手にP6148(R35)の見える、素晴らしく景色のよいテント地であった。
8月22日(土):晴れ。
7:50/左股第一キャンプ地 - 10:30/左股氷河の舌端・氷河湖 - 偵察 - 13:00/左股第二キャ ンプ地 。
今日は出来るだけ左股の氷河舌端に近いところまでキャンプ地を上げ、左股上部を偵察したいと、ガイドのツアン君と私達メンバー4名で出発した。約2時間足らずで氷河の舌端が見えるところに到達したが、それ以上先は馬の餌となる緑の草地がなく又キャンプ地に必要な清水が見あたらないので、第一キャンプから距離は少し短いが快適そうな場所を左股第2キャンプと決めた。
ガイドのツアン君にテント設営を指示し、私達メンバー4名は上部に出かけた。氷河舌端には小さいながら氷河湖があり。氷河湖の左手には、P6148(R35)の岩峰が聳えている。
氷河湖の向こうの氷河の右岸か左岸を登って、一段上の氷河に上がって、氷河の奥の山々を探査することも検討したが、氷河湖からでも、氷河最奥部が望むことが出来たので、あえて危険をおかして上部に登る必要はなかろうと判断した。氷河湖の左側の丘陵地帯に登り、左股最奥部の写真を撮ることにした。左股最深部の右にはP5944(R28)、左にはP5817(R29)の純白の秀峰をみることが出来た。
左股のすべての山々を探査することは出来なかったが、初めての踏査行としては、十分満足行く成果が得られたと判断し、全員満足した気持ちでキャンプ地に下山した。
ガイド、キッチン・スタッフ、馬方達も私達の今回の探査行の成功を喜んでくれ、大変楽しい夕食となった。
8月23日(日):快晴。
7:40/左股第2キャンプ地 - 14:30/Onkarの対岸キャンプ地。
レルー谷探査も無事終わったので、浮き浮きした気持ちで下山の途についた。1時間ほどで左股第1キャンプ地に着いた。レルー谷左股は右股より、ヤク道がしっかりついて歩きやすい。二股からの下流も右岸沿いに明瞭なヤク道がついていた。二股の方を振り返ると、P5862(R27)とP6158(R26)の鋭鋒がそびえ立っている。今回私達は、無名峰ばかりのレルー谷の山々に、混同を避けるため暫定的な山名「R1」「R2」という仮称をつけたが、山を同定する上で大変有効であった。振り返ったP5862「R27」の中腹あたりのルンゼに、なんとなんと「27」という数字が雪で書かれているのをみて、余りにも偶然な因縁に驚いた。
今回のレルー谷探査で、20座の6000m前後の山を同定出来たのではと思っているが、何しろ初めての谷であり、私達の観察に勘違いがあるかも知れない。今後この谷に入られる方々があり、私達の間違いに気付かれたら是非御指摘をお願いしたい。
8月24日(月):曇り後晴れ。
7:45/Onkar対岸キャンプ地 - 13:30/イチャール(Ichar)。
ガイドのツアン君とチベット仏教について、彼の博識をいろいろ聴かせてもらいながら下山の途についた。ラダックは結構回教徒が多く、人口の約60%が回教徒との由。一方、ザンスカールは熱心なチベット仏教徒が多く、回教徒はたったの約6%しかいないという。
だから、ザンスカールにはマニ石を積んだメンダンが非常にたくさんあり、その数はラダックの数倍以上もあるとのこと。
ラダックやザンスカールのゴンパを訪れると、殆どのゴンパに必ず男女交合の壁画や像があり大変目につく。日本や他の仏教国でも滅多に目にしないこのような男女交合図が、何故あるのか、チベット仏教に詳しいツアン君の意見を聞いたり、空海が中国から持ち帰った理趣経について私が説明し、その関連性などについて意見を交換しながら歩いた。ツアン君の説明によると、男女交合像や男女交合図は、英文ではDeity(神)といわれ、チベット仏教では菩薩と同じ位に位置する尊い瞑想する仏(Meditation Buddha)であるという。 今回、レーでであって以来、この掲題について彼と意見交換をしてきた。彼との対話の中で、私は次のような自分なりの解釈をしてみた。
「釈尊が菩提樹の下で体得された悟りとは、万物は因縁より生ずという真理の発見に他ならなかった。この大宇宙に生を受けた我々人間は、いろんな苦しみを持っている。この苦しみを絶つこと、四苦八苦の苦しみから解放されることが釈尊のとかれる解脱であり、サンスクリットでいうニルバーナ(涅槃)である。私達人間は、両親の男女交合により、この世に誕生した。両親が存在し、その二人のセックス行為があり、私の誕生。即ち、この大宇宙における因縁により、私達が存在するという認識は非常に大切である。一方、愛欲や性欲に執着することは、煩悩や苦しみの大きな原因となる。そのような執着から解脱して、悟りの境地にはいるように瞑想することを、このDeityを通じて私達に体得させようとのチベット密教の教えではなかろうか?」と私の未熟な見解をツアン君に述べた。彼は、大筋で私の見解に同意してくれた。チベット仏教徒でも男女交合図についてはキチンと理解している人間が少ないとのコメントであった。かなり、難しい宗教談義をしながら、ガイドのツアン君と楽しく歩くことが出来た。
現在、パダムからシンゴ・ラ峠を越えてダルチャ迄通じる車道工事が進んでいる。この道路建設は、インド政府のBRO(Border Road Organization = 国境道路機構)という日本の国土交通省みたいな役所が管轄している由。工事期間が雪解けの6月から、雪が降る前の9月末までの4ヶ月程度と短いので、新道路建設は遅々として進まないとのツアン君の説明。
レルーのキャンプ場は、トレッカーで騒々しいので、静かなイチャール迄足を延ばすことにした。イチャールでTsarap河にかけられた吊り橋で右岸へ渡る。個人の所有の土地とのことだが、Tsarap河の横の畑地を整地して作られ、湧き水の出ている緑の草地の気持ちの良いキャン場であった。
今日で、レルー谷探査行が無事終了し、キャンプ地から見えるP6028を振り返り全員充実感一杯であった。
Blue Poppy on right branch of Reru Valley
(2) |
Blue Poppy on right branch of Reru
Valley |
Yaks on right branch of Reru Valley | Camp site on right branch of Reru Valley |
P5825(R19=Center), P6111(_R18=Right),
P6110(R19=Left) |
From left, P6128(R25=Left),P6088 (R24=Right), R23, R22 |
on Right Branch Glacier, R25, R24, R23, R22 from left |
Glacier tongue of right branch of Reru
Valley |
Edelweiss on right branch of Reru Valley |
Crossing the right branch of Reru
Valley |
Sumudo of Reru Valley | Walking to P6148(R35) |
P6148(R35) | P6148(R35, P6007(R34=Rightest) |
Glacier Lake of left branch of Reru Valley | From Glacier toungue of left branch, P5044
(R28), P5817(R29) ,P5962(R31), P6077(R34) |
1. はじめに
2. ラダックの中心地レーからザンスカールのパダムへ
3. 知られざるレルー谷の未踏峰探査
4. ザンスカール最深部トレッキング
5. カルギルからパダム迄の山々
6. ザンスカールの石
7. ザンスカールの花