2009年ザンスカール(インド・ヒマラヤ)遠征
その4

2009年京都ザンスカール遠征隊
 (2009年8月6日〜9月12日)  

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1. はじめに
2. ラダックの中心地レーからザンスカールのパダムへ
3. 知られざるレルー谷の未踏峰探査
4. ザンスカール最深部トレッキング
5. カルギルからパダム迄の山々
6. ザンスカールの石
7. ザンスカールの花


4.「ザンスカール最深部トレッキング」

Cha 1001
Tsetanの民家キャンプ場
Purne 手前のTsarap沿いの道
Purneへの吊り橋
Purneのキャンプ場で昼寝をする馬たち
天空のプクタル・ゴンパ
プクタル・ゴンパの僧達
ゴルジュが延々と続く
一歩誤れば50-60m下の谷底へ
気の抜けないゴルジュ帯
Yaytahのテント地
Yayth 対岸の特異の山
もう少しでゴルジュ帯を抜けられそう1038
美しいKyultiのキャンプ地
シャデー村手前の花咲きにおう小川
ザンスカール最奥の村シャデー
カスバのようなシャデーの民家
シャデーの民家
シャデーの子供
タッタック・ゴンパ
タンタク・ゴンパ管理のご婦人と
Nial Korokoroのキャンプ場
秋の訪れを感じさせるNial Kontse La 手前
 
濃霧の中をGotunta La (5100m)から下山 


ザンスカール最深部地図


 ラダックやザンスカールには、多くのトレッキング・ルートがある。ザンスカールでは、ラマユルからパダムへ至るゴンパ巡りのルートと、パダムからシンゴ・ラ峠を越えてダルチャに至るルートが最もポピュラーとなっており、毎年多くの欧州人達が歩いている。
 私達が今回計画したタンタック・ゴンパからNialo Kontse La(4850m)とGotunta La (5300m)の二つの峠を越えて、Gianに至るザンスカール最深部のルートは、途中に村落が全くなく、且つゴルジュ帯の大トラバースがあったりして結構厳しいコースなので、余り多くのトレッカーは歩いていない。毎年数パーテイの欧州人の健脚組がトレースしているようだが、日本人でこのルートを歩いたという記録を私は知らない。


8月25日(火):晴れ。

 7:40/Ichar - 12:40/Tsetan。
 計画した予定より1日早く行程が進んでいるので、今日はのんびりと半日コースでTsetan迄とした。Icharを出てすぐに、Tsarap河沿のゴルジュ帯の道で狼の足跡を見た。ザンスカールには狼が多く、ガイドのツアン君は「これから私達が行くザンスカール最深部でも狼は数多くいる」と言う。崖の上に民家があり。その裏側の畑の中を切り開いた個人のキャンプ場が、今夜の私達の泊まり場だ。2年前を懐かしく思い出す。老夫婦と嫁と孫が、畑に出て草むしりをしていた。
 私達のコックのChonjorは非常に料理がうまく、毎日いろんな違った料理を工夫して作ってくれる。日本から持っていったゴマや、マヨネーズ等で、おしたしやサラダを教えると、すぐ翌日から自分の料理としてものにする才覚のある男だ。キッチン・ボーイのLobsanとJigmetも、親方のChonjorの指示をよくきき、実にこまめに働く気持ちの良い若者達である。


8月26日(水):曇り時々雨。

 7:40/Tsetan - 9:00/Surle - 10:20/Chaの対岸台地 - 2:00/Purne。
Tsarap河沿いのゴルジュ帯の道は、殆ど変化がなく、いささか退屈する。Chaの対岸台地広場にメンダンあり。見事なマニが石あった。メンダンの向こうに、天然石に刻んだロック・ペインテイングの石が転がっている。大変素朴な絵で、南アフリカのドラッケンズ・バーグ山脈にあるブッシュマン・ペインテイングに非常によく似た感じだ。
 Tsarap河沿いは、結構谷風が強く、少し風が吹くと砂埃が舞いあがり、全身砂まみれになってしまう。2年前は、この砂埃で隊員6名全員が喉をやられた経験あり。
 Purneのキャンプ場は、売店とロッジを経営している村人が自分の敷地に作ったかなり大きなキャンプ場。2年前に私達が泊まった時にも、ポリ袋や空き缶などのゴミであふれかえっており、余りにも汚すぎたので隊員とキッチン・スタッフの全員でキャンプ場をすべて清掃したことあり。今回も、トイレの前のあたりは、ゴミの山。経営者の資質が全く駄目とがっかりする。どこの国にも、金儲けしか考えない品性のない人間がいるものだ。


8月27日(木):晴れ。

 7:40/Purne - 9:00/プクタル・ゴンパ - 15:20/Yayth。
 Purne からプクタル・ゴンパ迄のゴルジュ帯の道は、2年前は土砂崩れなどでかなり荒れていたが、その後相当補修された様子で、随分と歩きやすい安全な道になっていた。
天空にそびえ立つプクタル・ゴンパは、何度見ても荘厳だ。しかし、洞窟の中にあった自然の本堂をなくしてしまい、木造の建物を洞窟の中に建設中なのを見て失望した。若い僧達が台所でバター茶を飲んでいけとすすめてくれ、喜んで御馳走になった。
 プクタル・ゴンパから一度台地にあがり、少し行くと、ゴルジュ帯の高巻道が続く。靴巾2つぐらいの細い道で、時には崩れて靴巾1つくらいしかない嫌なところもあり。足を踏み外せば、50 - 60メートル下のTsarap河へ真っ逆さまに転落しそう。気の抜けないトラバース道が、うんざりするほど続いた。Yaytahへは急な坂道を登って広大な高原状の台地にあがる。ここにキャンプ地があると思っていたが、水場が全くないのでキャンプ地にはならないらしい。台地から一段おりた斜面にしがみつくような傾斜地に、湧き水があって、そこがキャンプ地になっていた。勿論民家もなにもなし。キャンプ地の向かいのTsarap河対岸の山は、日本では見られないような特異な岩壁の山であった。
 今日一日は、かなりハードな長い行程であった。馬方の次男のニアダックが昨日マナリから戻ってきて、今日から我々の遠征隊に復帰。長男のビッグ・テンジンが、今日から息子達をマナリに送って行くとのことで、次男・長男の入れ替えとなった。ニアダックの帰隊を祝して、隊員、ガイド、馬方、キッチン・スタッフの全員でパーテイを催した。アルコール抜きなのがいささか寂しかったが、なかなか良いムードのパーテイだった。


8月28日(金):晴れ。

 7:35/Yaytah - 9:30/Sumudo - 10:20/Kyulti。
 Yaytah のキャンプ場からTsarap河ゴルジュ帯の台地に降り、ゴルジュ帯のトラバースとなる。靴巾2つぐらいの狭いトラバース道がつづき、崖下に落ちないようにと、緊張しながら慎重に歩く。右手から支谷のNialo Kontse 川が入ってきて、橋がかかっており、これを越えてタンタック・ゴンパの方へ。橋を越えると、谷巾はいっぺんに広くなり、ゴルジュ帯から、開けた明るい美しい谷となる。タンタック・ゴンパの近くには、良い水場がないとのことなので、広い河原の柳の林の中をキャンプ地とすることにした。今日も半日行程だが、年寄りにはゆったりしたスケジュールでの体力維持が大切だ。洗濯、読書、昼寝とそれぞれ好き勝手な午後を過ごした。


8月29日(土): 快晴後曇り。

 7:35/Kyulti - 8:30/Tantak - 11:00/Shade - 13:10/Tantak Gompa - !4:35/Kyulti。
今日は、タンタック・ゴンパとザンスカール最奥のシャデー村への日帰りハイクングだ。タンタク・ゴンパは帰路に立ち寄ることにして、先にシヤデー村へ向かう。シャデーへの支谷のゴルジュ帯を抜けると、清い小川が流れ美しい花々が咲き乱れる明るい開けた谷となる。ゴルジュ帯のすぐ上の崖に、自然のマウンテン・ゴートの群れが歩いていた。
 シャデー村は、戸数約20軒、人口約70人のザンスカール最奥の山村だ。一昨日、インド政府の教育関係の役人三名が、Purneからシャデーヘ馬で出かけて行った。シャデーに分校をつくるかどうかの、事前調査が目的だったらしい。
畑仕事をしている家族達がいて、挨拶を交わした。シャデーの村の中を歩いて見たが、丘陵地につくられたチベット風民家が密集していて、ちょうどアルジェリアのカスバの中の路地を歩いているような感じがした。
 帰路、弁当を持参したキッチン・スタッフと出会う。彼等もシャデー村の見学に行くという。コックのChonjorは、毎日私達隊員4名と、ガイドのツアン君のために弁当を作って持たせてくれる。チャパテイか揚げパン、スライス・チーズ、ゆで卵、ゆでジャガイモ、板チョコレート、ジュース等を取り合わせたなかなかしゃれた美味しい昼食である。
 帰路、タンタック・ゴンパに立ち寄る。この近辺の畑地や放牧地はすべてプクタル・ゴンパの傘下のタンタック・ゴンパの所有になっている由。ゴンパの管理人や、シャデー村の住人でゴンパの所有地を使わせて貰っている人たちが、収穫した作物の一定率をゴンパに納入する契約になっているとのツアン君の説明。ゴンパ自身は、常住の僧はおらず、大変に小さな質素なお寺であった。 管理人の奥さんから、バター茶を御馳走になった。シャデー村からの帰りに一緒になった美人のお嬢さんは、娘さんとのこと。


8月30日(日):晴れ。

7:35/Kyulti - 8:30/Nialo Kontse 川三俣 - 10:20/Nialo Korokoro キャンプ場 - テント設営
- Nialo Korokoro CS - 13:40/4550m - 14:20/Nialo Korokoroキャンプ場。
 Kyultiから二つの峠を一挙に越えて、Hormoch迄1日で歩くのは年寄りには厳しすぎる行程と判断し、Nialo Kontse Laの手前の水の得られるKorokoro迄足を延ばしておくことにした。Kyultiキャンプ場からNialo Kontse川の橋まで戻り、峠に向かって登る。3時間足らずで、Korokoroに到着。小さな湧き水のある、斜面のキャンプ地だ。キャンプ地内を歩きまわるには、斜面なので不便だが文句は言えない。幕営後、高度順応を兼ねてNialo KontseLa の手前までハイキングに出かけた。4500m前後から、草は紅葉し始めていて秋の気配。
紅葉の美しい、気持ちの良いカールだった。


 8月31日(月):曇り後雪から雨。

 4:30/Nialo Korokoro - 5:38/Nialo Kontse La - 8:00/最低鞍部 - 11:00/Gotunta La -
15:00/Hormoch。
 2つの峠越えになるので、出来るだけ早朝に出発したいと、早朝4時の朝食を指示した。
コックとガイドは、「自分たちの足なら6時間。あなた達でも5時の朝食でも十分では?」との意見を述べてきたが、「私達は70歳前後の年寄りで、歩くスピードは君たち若い人たちに較べて極端に遅い。今日の行程なれば、私たちの足でどのくらいの時間がかかるかは、私達が自分で計算出来る。安全登山のために少しでも早く出発したいと考えているのだから、隊長の私の命令には素直に従って欲しい。」と厳しく指示した。翌朝は、キッチン・スタッフ達は3時前から朝食と弁当の準備にかかり、3時40分頃には「朝食の準備が出来ました」と声をかけてくれた。既に、隊員4名とガイドは、各自のテントを自分たちで撤収して荷物の準備も終わっていたので、すぐに食事にかかり、予定より早い4時30分にキャンプ地を出発することが出来た。非常にチーム・ワークがうまくいっていることに、安心し満足した。
 出発前から空模様が怪しくなってきたが、予定通り出発した。今日二つの峠を越えておかないと、へたをすると雪で暫く越えられない恐れがあるので、是非今日中に峠下まで降りてしまいたい。峠までは、既に高度順応も出来ているので、非常に良いペースで登ることが出来た。峠の手前で、雨がぱらつき、雨具を着る。ガスで視界のきかない峠についたが、風がきついので直ぐに出発。Nialo Kontse La からは、広い高原のような稜線を最低鞍部まで降りる。ガスで遠景が全く見えないのが残念だ。晴天だったらきっと素晴らしい光景が展開されたことであろう。最低鞍部から、Gotunta La迄は結構距離があり、かなり複雑な地形で、また小雪も降り出し意外と時間がかかった。Gotunta Laからの下りは、崖斜面のトラバース道が続くが、雨で濡れた道を10頭の馬が歩いたので、細いトラバース道がどろどろになっていた。「滑らないか?」と、ヒヤヒヤしながらの気の抜けない下りだった。
 峠をほぼ下りきる地点に、世にも不思議な幻想的な谷が現れた。氷河の後退で出来たのか、複雑な侵蝕活動の結果で出来たのかは解らないが、いろんな色の砂岩で怪奇な模様の丘や岩柱が甲子園の何百倍の広さの盆地に展開されていた。天候が悪く、霧でぼやけてしまっていたが、晴天ならきっと楽しめたところだったと思う。
 雨で、雨具だけでなく、ダッフル・バッグもすべてびしょぬれになった状態で、Tsarap河のほとりのHormochに15時に着いた。
 このトレッキングでの大きな山場を越えられて、ホッと一安心。Hormochには民家がなく、直ぐ下流の対岸にYurshinという村落があるが、数年前に全住民がこの地を捨てて移住してしまい廃村になっているらしい。Kyultiであった若いカップルは、少し上流で幕営したという。


9月1日(火):晴れ後時々曇り。

 7:40/Hormoch - 10:35/Tichip。
 予備日が2日余っているので、今日はのんびり短い行程で行くことにした。全く動かない完全休養より、むしろ数時間歩いて身体を慣らし、且つ変化をつけた方が良かろうとの谷口と私の判断である。Tsarap河右岸の台地をのんびりと歩く。途中、民家が何軒かあったが、すべて放棄した廃村であった。住居跡の畑地が、なんとなく侘びしい。
 Tichipで支流が合流。若いカップル二人と馬方達は、Satok迄足を延ばしたいと、私たちを追い越して二股上の支流を渡渉していった。明日の朝の渡渉地点を確認した上、Tsarap河の広い砂地にテントを張り、午後はのんびりと洗濯、読書、昼寝の休養日となった。私たちのような年寄りには、連日7〜8時間の行動と言うのは非常にきつい。3〜4日に一度は、半日行程の楽なスケジュールとし、のんびりと自然を楽しみ、キャンプ地で静養することが次の活力を生む源になるのではと私が考える。今回は一人にテント1張りと言う計画にしたのも大成功であった。メンバー4人に対し、トレッキング会社が3〜4人用のテントを2張り準備してくれていたが、谷口と私は日本国内で愛用している3〜4人用の軽量のアライ・エアライズ(本体、フライ、ポールで合計約2.3kg)を持参した。
 岡部の誕生日は8月19日であったが、みんな忘れていてお祝いを出来なかったので、この夜に彼の誕生パーテイを開くことにした。私とコックのChonjorで夕食の準備をし、全メンバー、ガイド、キッチン・スタッフ、馬方の全員10名で楽しい夕食パーテイを持った。残り少ない食材をうまく利用し、コックは最高の夕食を準備してくれた。食事後、Tsarap河のほとりで、集めてきた枯れ木で大キャンプ・ファイアーを楽しんだ。ちょうど満月の日で、岡部にとっては思い出深い68歳の誕生会になったことだろう。


9月2日(水):快晴。

7:30/Tichip - 10:00/Mune Le - 12:15/Satok。
今日も半日行程の、のんびりしたスケジュールだ。朝一番に出合いより少し上手の支流を渓流足袋をはいて渡渉した。早朝なので、それほど水流はなかったが、それでも膝下ぐらいまで水につかると本当に冷たい。
 小さい丘をなんどか越えて、右岸台地を歩く。ビャクシン(現地語でシュクパ)の大木が結構目につく。この辺のビャクシンは非常によい匂いだが、ダルチャやマナリあたりのビャクシンは香りがなくて駄目だとツアン君が言う。Mune Leも住民が村を捨てて降りてしまい、完全な廃村。マニ石を沢山積んだメンダンが、寂しく残っているのみ。
 Satokも、遠くから眺めると広大な畑地がある素晴らしい村。しかし、この村も4〜5軒の家と尼さんの住居があり合計20名ぐらい住んでいたらしいが、今や住人もいない寂しい廃村となっていた。廃屋の横の空き地にテントを張り、宿泊した。


9月3日(木):雪後雨。

 完全休養の停滞日。
 朝6時の朝食の予定だったが、5時頃から小雨がふりだし、小雪に変わってきた。
予定通り朝食をすませ、取り敢えず、8時まで天気待ちをすることにした。雨はいっこうにあがらず、対岸の山も4500m以上はみるみる雪で真っ白になっていく。キッチン・スタッフ達はまともな雨具、防寒衣、手袋も持っておらず、無理をすると事故につながる危険性が強い。未だ、予備日が1日残っているので、今日は無理をせずSatokに停滞すると、8時前に決定した。私の判断を聴いたLobsan達キッチン・スタッフは、ホッと安心したような、嬉しい顔をしていた。


9月4日(金):晴れ。

 6:40/Satok - 8:20/峠 - 11:35/Lahaulの対岸の峠 - 13:50/Tsok Mesik。
 今日はかなり距離の長い行程なので、6時朝食とした。キッチン・スタッフ達は、今日は昨日とはうってかわっての晴天なので大喜び。まわりの山々の4500m以上は、すっかり雪化粧をして真っ白になっていた。歩き出してそうそうに、Mountain Goatsの群れが、山の中腹を歩いているのを、ガイドのツアン君が見つけた。彼は本当によい眼をしている。
 今日は、それほど危険なトラバースもないが、幾つも小さな峠を越えねばならない。1時間半ほど歩くと、4300m程の峠の上に出て、山容ががらりと変わってきた。チベット高原的な風景の中に、大きなライオン岩が聳えている。エジプトのスフィンクスそっくりなので、私たちは「Zanskar Sphinx 」と名付けた。ザンスカールは造山活動が活発だったのか、いろんな形の岩や、面白い模様の石がたくさんあって、興味がつきない。
 今日は沢通しに歩けないので、100~150mの丘陵地帯の上り下りを何回も繰りかえす高巻きルートの連続だが、危険な箇所は全くないので行程がはかどる。開けたチベット高原的な山容が多くなり、圧迫感がなくなってきて、気分的にもゆったりとして歩ける。
意外と早い時間の2時前に、今日の泊まり場のTsok Mesikに到着。ゆったりと流れるTsarap河の川辺にある柳の林の台地で大変気持ちの良いテント地。勿論、人の住んでいる人家も村もないところ。後に岩山があるが、圧迫感もなく、のびのびとした気持ちになる。午後は寝袋をほしたり洗濯に忙しい。夕食後、また枯れ木を集めてキャンプ・ファイアー。もう、日本の山で出来ない焚き火を、ザンスカール最深部で存分に味わう。


9月5日(土): 快晴。

 7:40/Tsok Mesik - 11:20/Gian - Brandy Bridge の手前の河原。
 今日は、ザンスカール最深部トレッキングの最後の日。少々雨が降ろうが雪が降ろうが、必ずGian迄歩くのだと、キッチン・スタッフも馬方も張り切っている。割りと歩きやすい台地状の高巻き道をのんびりと歩く。アップ・ダウンはあるが、神経を使うところもなく、歩きやすい。広い河原の中に緑の柳の林が茂る景色が見え、その向こうに車の走っている車道が見えた。とうとう最終地のGianだ。直ぐ近くに見えるが、マナリからレーに通じる道路に合流するGian迄、見えだしてから1時間以上もかかった。Gianの近くにはきれいな水を得られるテント地がないので、車道を歩いてウイスキー・ブリッジ迄歩く予定。
なんの面白みもない車道をテクテク歩いて、ウイスキー・ブリッジに行って見ると、道路工事中でブルドーザーや労働者で混乱していて、キャンプをするような場所はなかった。やむなく、更にブランデー・ブリッジの近くまで歩くことにした。ブランデー・ブリッジの近くのTsarap河のほとりに幕営した。今日は最後の日なので、残りの食材を使い、日本から持ってきた最後のコーヒで、お別れパーテイをした。ガイド、キッチン・スタッフ、馬方達と一緒に食事をし、出来れば来年もザンスカールの未知の地域を一緒に歩こうと約束しあい、全スタッフにチップを渡した。キッチン・スタッフ達は、明朝は車でレーヘ。馬方の二人は、峠越えでザンスカールへ帰ると言う。
 今回の遠征は、キッチン・スタッフ、馬方とのチーム・ワークも大変よく、素晴らしい調和のとれた遠征隊であった。息の合った良きスタッフ達と一緒に、非常に変化に富んだザンスカール最深部トレッキングを楽しむことが出来た。


9月6日(日):晴れ後曇り。 

 7:00/ブランデー・ブリッジ手前CS - 7:45/Sarchu - 11:30/Darcha - 12:10/Kialang - - 19:15/Manali。
 スタッフ達と別れを惜しみ、迎えにきたジープでマナリへ。ロータン・パスの手前から天候が悪くなりだし、期待していたインドラサン(1962年に京大山岳部が初登頂)はガスで全く見えず。峠下で、道路工事があり渋滞。マナリに着いたのは陽もくれた7時過ぎであった。ダルチャあたりから、道路わきにゴミがあちこち捨てられていて、うんざりする。インドの山は素晴らしいが、人の住む町に入るとゴミだらけで、がっかりする。


9月7日(月): 晴れ後曇り。

 8:00/Manai Dragon Hotel - 16:20/Shimula Hotel Suruya。
 途中トラックの衝突事故あり、暫く待たされた。シムラのHotel Suruyaは、宿泊客が殆どいないのに、工事中の汚い小さな、ダブル・ベッドの部屋を私たちに割り当てたので、大口論。他のホテルへ移ると強硬に抗議して、ようやくまともな部屋に入ることが出来た。


9月8日(火):曇り後雨。

 シムラ駅に、デリー迄の汽車の切符を購入に行く。その後、旧英領時代の政庁跡(現在はSimula Institute of Academy Studyという図書館として管理)、Birds Musium, 及び博物館を見学。


9月9日(水):雨。

 10:30/Shimla - 16:05/Kharka, 17:30/Kharka - 21:40/Delhi。
 汽車でデリーまで。終日雨で、景色は楽しめず。シムラからのトイトレンは雨漏りして、まともに座れない座席が多かったが、ガラガラに空いていたので、移動して対処した。


9月10日〜11日は、連日の雨だったので、10日にインド門を見に行っただけで、ホテルに滞在。11日23:30のタイ航空にて帰路についた。

Gotunta La 下の幻想的な谷間 幻想的谷間の不思議な砂山
Tichipのキャンプ場 芸術的模様の山
廃村Satok 廃村Satokで幕営
悪天の翌日(Satok) Tsok Mesikのキャンプ場
Tsok Mesikの横を流れるTsarap河 チベット高原的風景
美しいTsarap河上流 目の前の丘を3つほど越えれば終了地Gianだ
   
 Gianの自動車道が見えた 最終地点Gian に到着 



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3. 知られざるレルー谷の未踏峰探査
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5. カルギルからパダム迄の山々
6. ザンスカールの石
7. ザンスカールの花