「1」 ロールワリンについて … 遠征準備
「2」 ロールワリンへ出発
「3」 ラムドン・ピーク偵察そして登頂
「4」 遠征記録
「5」 ロールワリンの山々
2008年秋に、ネパール・ヒマラヤに出かけた。目的は、ロールワリン山群のラムドン・ピーク(5925m)の登山。
メンバーは、京大山岳部の先輩の谷口朗さん(70歳)、福本昌弘さん(70歳)、伊藤寿男さん(69歳)、田中二郎さん(67歳)、元京都山岳会の岡部光彦さん(67歳)と隊長の私(68歳)の合計6名、平均年齢68.5歳の老人登山隊。
副隊長は谷口さんに御願いした。親しい山仲間の個人的な海外登山なので、隊名は所属山岳団体とは
無関係な「2008年京都ロールワリン遠征隊(2008 Kyoto Rolwaling Expedition)」と名付けた。
地図やインターネット情報では、この山は「ラムドンゴ」又は「ラムドン」と表示されており、標高も5930m, 5925mとまちまちだが、NMA
(Nepal Mountaineering Association)から発行された「Climing Permit」及び「Certificate
of Successful Ascent」にはいずれも「Ramdung Peak 5925m」と明記されていたので、この報告では「ラムドン・ピーク
(5925m)」という名称で表記することにした。
1.ロールワリンについて:
ロールワリンとは、チベット語の「Rolwa = 耕す」という語と、「Ling = 場所・土地」から発生した地名らしい。ロールワリンの人びとは、ロールワリンは約1200年前にチベットに仏教をもたらしたインドの大修行者サドマサンバヴアによって開墾された聖地、隠れた谷「Beyul = ベユル」と考えているという。
ロールワリンは、エベレストのあるクンブー山域の西隣にある割りと小さな山塊である。
ロールワリンの人びとは、熱心なチベット仏教徒であり現在でも殺生は一切許さないらしい。ロールワリンの中心の村、ベデインやナは、シェルパ族の住む村で、遠征隊やトレッキング・ガイドの仕事をする人が多い。村の多くの人がカトマンズに別宅を構えており、ベデインやナの村落には以前の1/3
〜1/4の村人しか住んでおらず、ヤクの放牧も激減しているという。村人の殆どは子供達をカトマンズに住ませて教育しており、ベデインの学校の生徒も現在6名のみ。
2.ロールワリンの山:
ロールワリンには、8000m以上の高山はない。
ネパール側の鋭鋒ガウリサンカル(7143m)とチベット側のメルンツエ(7175m)の2峰だけが7000mを越える山だが、
30近くの6000mがきら星のごとく連なる魅力ある山域である。
ロールワリンに初めてきた外国人は、1951年のヒラリー隊長率いるエヴェレスト偵察隊であった。その後、1952年にスコットランド隊(ビル・マーレイ隊長)が入り、1955年にはシプトン隊長及びグレゴリー隊長率いる二つのイギリス隊がロールワリンを訪れた。1964年から1971年までは、外国人のロールワリン立ち入りは禁止された。1979年にネパール・米国合同遠征隊によってガウリサンカル(7134m)が初登頂されたが、翌年の1980年から再度ロールワリンは外国人の入域を禁止した。1990年に登山及びトレッキング・ピーク登頂の許可を取得したグループのみにロールワリンが開放されたが、一般のトレッキングは許可されなかった。そのため、お隣のエベレスト街道と言われているクンブー山域に較べて、ロールワリンは訪れる人の少ない静かな隠れた谷として残されてきた。
3.何でラムドン・ピークを選んだのか?
2002年秋にNMA(ネパール登山協会)が、ロールワリンのチョキゴ(6257m)を含む15の未踏峰を、2003年5月以降 トレッキング・ピークとして安い登山料で許可すると発表した。その年の6月に四川省の未踏峰ダンチェツエンラを登ってきた宮川清明さんと私は、2003年秋にチョキゴに行こうと検討したが、登攀能力のある若手メンバーが集まらなかったため、結局チョキゴ登山はあきらめた。チョキゴは、2004年にイギリス隊が挑戦し敗退。その後何隊かがトライしたようだが、2006年にスイス隊が初登頂した。
私はその後は、アンナプルナ一周トレッキングや、ボリビア・アンデスの登山、カラコルムの氷河歩き(ビアフォー・ヒスパー氷河) 、そして昨年2007年はインド・ヒマラヤのラダックからザンスカールのトレッキングと、他の地域に数年ついやしてしまった。
インド・ヒマラヤに行く前の一昨年から、ロールワリンへの憧れが私の心にふたたび沸々とわき上がってきた。背伸びしないで、70歳近い私たちの実力と体力でも安全に登れそうな6000m前後の山に行こうと具体的に検討し始めた。登山者が多くてテント村が出来るような騒々しい山はいやだ。有名な山でなくともよい。静かな環境のなかで、自分たちの山登りが楽しめるような山に登りたいと言うのが、私の選考基準だった。
ラムドンゴというこれまで名前も聞いたことがない5925mのトレッキング・ピークが、ロールワリン河の南、ちょうどチョキゴの対岸にあることがわかった。インターネットで調べると欧米人たちはかなり登りに行っているらしいが、日本人は殆ど訪れていないらしい。ラムドンゴに心が傾いてきた。1980年秋にラムドンゴに登頂された大阪山の会の大西保会長にお会いしてお尋ねしたところ、「晴れていたら向かいのガウリサンカルだけでなく、エベレストやチョーオユーまでの素晴らしい景色が楽しめますよ。そんな難しい山じゃないし、高度順応さえきちんとやれば年寄りでも登れますよ。」との情報を御提供いただき、又御親切に地図までもお送りいただいた。大西さんの言葉で、「ラムドンゴに登りに行こう」と私の心は決まった。
4.ロールワリン遠征の準備:
ラムドン・ピークは、Ramdung 又は Ramudung Go とも呼ばれる、ロールワリン河の南側のヤルン峠(Yalung La 5310m)の南東約4kmに位置する氷河をいだく5925mの山である。1952年にBill Murray隊長が率いるスコットランド隊により初登頂された。
現在、ラムドン・ピーク(5925m)はトレッキング・ピークとして開放されており、登山料は4人までのグループでUS$350.-, 5−8人の場合は追加メンバーの登山料は一人当たりUS$40.-,
9−12人の場合は追加メンバーの費用はUS$25.-と非常に手頃な費用で登れる。私たちの場合は6人メンバーなので、登山隊として支払った登山料はUS$350.-
+ US$40 x 2人 = US$430.- であった。
その他に、トレッキング・パーミットが一人当たりUS$40.-であった。
ラムドンゴの登山の後は、往路のタマコシ河やロールワリン河を下山せず、ヤルン・ラ(5310m)から南面のカニ・コーラの方へ、ヤク道を辿って放牧場を訪ね歩きながらスリドバンまで下山するルートで計画を決めた。いろんな方にヤルン・ラ南面の情報をお聞きしたが、カニ・コーラの情報は全く得られなかった。恐らく、トレッカーは殆ど入っていないように推測される。
現地のアレンジは、ロールワリン出身のシェルパやポーターを数多くかかえる Seagull Travel & Tours (P) Ltd.
に任すことにした。我々は平均年齢が70歳近い体力・実力の乏しい熟年登山隊なので、クライミング・シェルパ3名のサポートをお願いした。
カトマンズを出発してカトマンズに帰着するまでの29日間の全食事、炊事用具一切、チャーター・バス、テント、ラムドン・ピーク登山料、シェルパ3人、コック、キッチン・ボーイ4人、ポーター、登攀用のフィックス・ロープ200m、主ロープ3本、スノー・バー10本、ハーケン6本、スコップ、現地スタッフの保険料、緊急用酸素セットのレンタル等々、全ての手配をSeagull Travel に任すことにした。6人隊で、一人当たりの費用をUS$2,050.-で契約した。
ラムドン・ピーク登山時のBC以上の食糧及びコッフェルは私たちが準備する契約になっていたので、日本食主体の6人 x 3日分の食糧や、トレッキング中の嗜好食とおやつ類を準備した。
エージェントは2人用テント3張りを隊員用に準備してくれるが、食料等の共同荷物があるので、別途アライ・エアライズの3〜4人用の私の個人テントを持参する事にした。又、万一の時の為に、ウエック・トレックよりレンタルでスラーヤ衛星携帯電話を借りて持っていくことにした。
ネパールへ出発する一週間ほど前に、Seagull Travelから連絡が入り、我々の遠征隊のサーダーは、あの有名なナワン・ヨンデン・シェルパに決まったとのこと。ナワン・ヨンデンさんはロールワリンのナ村の出身のシェルパで、これまで日本隊との縁も深く、カモシカ同人の厳冬期エベレスト遠征隊の時ネパール人として初めて厳冬期エベレストに登頂したシェルパ。その後、日大エベレスト北東稜遠征隊、ロシアエベレスト南西壁隊、日本山岳会東海支部K2西壁隊、同東海支部ローツエ南壁第1次、第2次、第3次遠征隊、そして福岡大学ギャチュンカン遠征隊等々のサーダーをつとめた56歳の高名なシェルパ。ナワン・ヨンデンさんのような実力あるサーダーは、数年前から申し込んでもなかなか引き受けて貰えないそうだが、そんな名サーダーが我が隊をサポートしてくれる事になり、正直驚いてしまった。
シェルパはサーダーを入れて3名で頼んでいたが、ナワン・ヨンデンさんの実兄のナワン・サキヤさん(ナ村在住、63歳、エベレスト7回登頂)がラムドン・ピークに詳しいとの事で、ラムドン・ピークのみのシェルパとして働いてくれる事になった。その他最近チョーオユーに登ってきた21歳の若いダワ・ギャルツエンと19歳のシャンゲ・チョンビの計4名のシェルパのサポートを受ける事になった。老人隊と言うことで、エージェントもサーダーも随分と気をつかってくれたようだ。
キッチン・スタッフはコックと4名のキッチン・ボーイ。ポーターは、シガテイ出発の際は24名を雇用し、順次解雇して余分な費用がかからないようにサーダーがうまくマネージするとの事。
私が親しくおつき合いさせていただいている山田良二さんと鈴木幹夫さんは、K2遠征の時にナワン・ヨンデンさんと御一緒したとの事。又ローツエ南壁1次隊では鈴木幹夫さんが、2次隊では鈴木正典さんがナワン・ヨンデンさんにお世話になったらしく、未だ会ったことがないサーダーのナワン・ヨンデン・シェルパがぐっと身近に感じられた。
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